グリゴリー・ミャソエドフ
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グリゴリー・ミャソエドフ
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| Григорий Мясоедов | |
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| 生誕 | 1834年4月19日 |
| 死没 | 1911年12月31日 |
| 影響を受けた 芸術家 |
カール・ティモレオン・フォン・ネフ、アレクセイ・タラソヴィチ・マルコフ |
グリゴリー・ミャソエドフ(Григорий Мясоедов; 1834年4月19日 – 1911年12月31日) は、ロシアの画家。「移動派」のメンバーで、風俗画や風景画を描いた。
略歴
ロシア帝国のトゥーラ近郊で誕生する。オリョールの学校を経て、1853年からサンクトペテルブルクの帝国美術アカデミーでカール・ティモレオン・フォン・ネフ(Carl Timoleon von Neff)やアレクセイ・タラソヴィチ・マルコフのもとで学んだ[1]。
1868年にアカデミーから奨学金を支給されて、画家修業のため西欧に向けて旅立った。フランスのパリでは大きな感銘を受けて、絵の修業に没頭した。さらにイタリアやスペインでも修業に励んだ。1870年にロシアに戻ると、帝国美術アカデミーの会員に選ばれた。やがて移動派の立ち上げに加わり、移動派の規約の起草者となり、運営に貢献した。1871年から開催された移動派の展覧会に作品を出展した。
1880年代の終わりに現ウクライナのポルタヴァに移り、現地で農民の日常生活を描き、劇場の緞帳のデザインや舞台美術の仕事をし、1894年に美術学校も創立した。1902年にアカデミーに抗議して会員を辞した。1911年にポルタヴァで没し、同地に埋葬された。
作品
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グリゴリー・オトレペフの脱出
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一人チェス
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ゼムストヴァの昼食
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収穫期の刈り手
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領主宅でのお祝い
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ヤルタ島の係留
参考
外部リンク
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