グラウビュンデンとヴァルテッリーナ
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「ヴァルテッリーナ」の記事における「グラウビュンデンとヴァルテッリーナ」の解説
16世紀から18世紀にかけて、ヴァルテッリーナはグラウビュンデン(フランス語ではグリゾンと呼ばれる)に属していた。 現在のグラウビュンデンはスイス連邦を構成する州(カントン)であるが、当時のグラウビュンデンはスイス(スイス誓約者同盟 (Old Swiss Confederacy) )とは別個の相互防衛同盟であった。「グラウビュンデン」の名のもとになったグラウエ・ブント(灰色同盟)は、15世紀後半にゴッテスハウス同盟、十裁判区同盟と連合して三同盟(別名グラウビュンデン自由国)を形成する。1512年、ヴァルテッリーナ(ソンドリオ)はキアヴェンナ、ボルミオとともにグラウビュンデン自由国に属した。 16世紀、グラウビュンデン自由国による統治の下で、ヴァルテッリーナはさまざまな呼び方がなされた。たとえば、Veltlin、Westtirol(西ティロル)、Welsche Vogteien(ヴェルシュ・フォークト領)などである。
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