クレンメン条約とは? わかりやすく解説

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クレンメン条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/15 07:48 UTC 版)

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クレンメン英語版条約(クレンメンじょうやく、ドイツ語: Vertrag von Kremmen)は1236年6月20日ポンメルン=デミーン公ヴァルティスラフ3世英語版によって締結された条約。条約により、ヴァルティスラフ3世はブランデンブルク辺境伯領をポンメルン=デミーンの宗主国と認め、シュタルガルト英語版ヴシュトロー英語版ベゼリッツ英語版をブランデンブルクに割譲した[1][2]

背景

デンマークが1227年のボルンヘーフェトの戦い英語版で敗北すると、グライフ家ポメラニア諸公は勢力を拡大しているブランデンブルク辺境伯領に対抗するための同盟国を失った。1231年、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世アスカーニエン家のブランデンブルク辺境伯ヨハン1世英語版オットー3世英語版をポメラニアの領主として認めた。一方、メクレンブルク諸公が西部のツィルツィパーニエン英語版を割拠、東部のシュラーヴェ=シュトルプ英語版はポメレリア公シフィエントペウク2世に占領された。

このような状況において、ヴァルティスラフ3世はブランデンブルクとの緊張状態を和らぐべく、クレンメン条約に同意した。また、自身が後継者のないまま死去した場合の復帰権英語版についても定めた。

脚注

  1. ^ Frank Erstling, Mecklenburg-strelitz: Beiträge zur Geschichte einer Region, 2001, p. 100.
  2. ^ Martin Wehrmann, Geschichte von Pommern, F.A. Perthes, 1904, p. 100.

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