クリューシッポスの殺害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 14:03 UTC 版)
「テュエステース」の記事における「クリューシッポスの殺害」の解説
テーバイを追われたラーイオスはペロプスのもとに亡命したが、後にクリューシッポスを誘拐しようとした。しかしテュエステースとアトレウスに連れ戻されたとき、母のヒッポダメイアはペロプスが継子のクリューシッポスに王位を継がせることを恐れ、テュエステースとアトレウスにクリューシッポスを殺すよう説得した。しかし2人が拒んだのでヒッポダメイアは自らクリューシッポスを殺害し、犯行をラーイオスに見せかけようとした。しかし犯行が露見し、ヒッポダメイアはペロプスに追放され、アルゴスのミデアに亡命した。しかしテュエステースとアトレウスが殺したともいわれる。 ミュケーナイの王ステネロスはアムピトリュオーンの追放後、ミュケーナイとティーリュンスを支配し、テュエステースとアトレウスを招いてミデアを支配させた。
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