クラレンス・A・ウォルドとは? わかりやすく解説

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クラレンス・A・ウォルド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/27 03:17 UTC 版)

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Clarence A. Waldo
クラレンス・A・ウォルド
C・A・ウォルド
生誕 (1852-01-21) 1852年1月21日
アメリカ合衆国ニューヨーク州ハモンド英語版
死没 1926年10月1日(1926-10-01)(74歳)
国籍 アメリカ合衆国
研究分野 数学
研究機関 ローズ工科大学英語版
デポー大学
パデュー大学
セントルイス・ワシントン大学
出身校 ウェズリアン大学(B.A, M.A.)
シラキュース大学(Ph.D.)
主な業績 インディアナ州円周率法案
プロジェクト:人物伝
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クラレンス・アビアタール・ウォルド(Clarence Abiathar Waldo、1852年1月21日 - 1926年10月1日)は、アメリカ合衆国数学者著述家教育者である。インディアナ州円周率法案を巡って重要な役割を果たしたことで知られている[1]

生涯

ニューヨーク州ハモンド英語版で生まれた。

ウェズリアン大学で1875年にBachelor of Arts(学士号)、1878年にMaster of Arts(修士号)を取得し、1894年にシラキュース大学Ph.D.を取得した[2]

1877年から1881年までウェズリアン大学数学科でチューターをしていた。インディアナ州テレホートローズ工科大学英語版で数学教授(1883年から1891年まで)や学長代理(1885年から1886年まで、1888年から1889年まで)を務め、1891年から1895年までインディアナ州グリーンキャッスル英語版デポー大学で数学教授、1895年から1898年までインディアナ州ラファイエットパデュー大学の数学主任教授を務めた。その後、セントルイス・ワシントン大学で数学教授(1908年から1910年まで)、数学と応用力学のセイヤー教授、数学科主任(1910年から1917年まで)を務め、1917年より同学の名誉教授となった[3]

1888年にA manual of descriptive geometry, with numerous problems(数多くの問題つきの図法幾何学のマニュアル)を刊行した。

ウォルドはインディアナ科学アカデミー英語版の創立会員であり、1897年には会長を務めた。同年、州下院を通過していたインディアナ州円周率法案について、採択すべきではない理由を州上院議員に説明し、採決が無期限延期されたことで、有名になった。

著書

  • Clarence A. Waldo, A manual of descriptive geometry, with numerous problems, Boston: D.C. Heath and Co., 1888, 1895, 77 pages.

脚注

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