ギョームボディニエとは? わかりやすく解説

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ギョーム・ボディニエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/25 04:51 UTC 版)

ギョーム・ボディニエ
Guillaume Bodinier
自画像
誕生日 1795年2月9日
出生地 フランス,アンジェ
死没年 1872年8月25日
死没地 フランス,アンジェ
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ギョーム・ボディニエ(Guillaume Bodinier、1795年2月9日 - 1872年8月25日)はフランスの画家である。

略歴

メーヌ=エ=ロワール県アンジェに生まれた[1]。アンジェの帝国高校(lycée impérial)で学んだ後、1814年にパリに出て法律を学び、ジャック=ルイ・ダヴィッドの弟子であったジャン・ブロックの絵画教室で学んだ。1817年にパリのエコール・デ・ボザールに入学し、ピエール=ナルシス・ゲランの教室で学んだ。一緒に学んだ画家にはウジェーヌ・ドラクロワテオドール・ジェリコーらがいた。

1821年と1822年にローマ賞に応募したが、受賞することはできなかった。

1822年に師のゲランが在ローマ・フランス・アカデミーの校長に任じられたので、ゲランに従って、ローマに移った[2]。ローマを訪れたジャン=バティスト・カミーユ・コローと友人になり、共に旅をし、風景画などを描いた。ローマに5年間、滞在してパリに戻り、1827年にサロン・ド・パリに出展し一等を受賞した。1829年から再びローマに移り1841年までローマで活動した。

1841年にアンジェに戻り、いとこと結婚した。アンジェ美術館の名誉館長に任じられ、1849年にレジオンドヌール勲章(シュバリエ)を受勲した。

作品

脚注

  1. ^ "Notice de personne - Bodinier Guillaume". catalogue de la BnF (フランス語). 2008年8月7日. 2016年3月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月25日閲覧
  2. ^ Partick Le Nouëne, Guillaume Bodinier, Paysages d'Italie 1823-1826, Musée des beaux-arts d'Angers, 70 p. 

参考文献

  • Dictionnaire Bénézit
  • Partick Le Nouëne, Guillaume Bodinier, Paysages d'Italie 1823-1826, Musée des beaux-arts d'Angers, 70.p.
  • Patrizia Rosazza-Ferraris, Vincent Pomarède, Patrick Le Nouëne, Guillaume Bodinier, un peintre angevin en Italie, catalogue de l’exposition du Musée des beaux-arts d’Angers du 27 mai au 18 septembre 2011, éditions Expressions contemporaines, 2011, 320.p, (ISBN 9782909166247)



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