キルワ王国
(キルワ・スルタン国 から転送)
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キルワ王国とは、16世紀まで東アフリカのキルワ島で栄えた王国である。スンナ派のイスラム教が信仰されていた[1]。13世紀から15世紀にかけて海上交易によって繁栄し、キルワ島にはモスク(寺院)、王宮などの建物が造られた。16世紀初頭に東アフリカ沿岸部に進出したポルトガルの攻撃を受けて衰退した。
- ^ a b 富永「東アフリカ沿岸部・スワヒリの世界」『アフリカ史』、116頁
- ^ 中村「キルワ島の海環境とキルワ王国」『比較人文学研究年報』4巻、50頁
- ^ 富永「東アフリカ沿岸部・スワヒリの世界」『アフリカ史』、118頁
- ^ 富永「東アフリカ沿岸部・スワヒリの世界」『アフリカ史』、118-119頁
- ^ 富永「東アフリカ沿岸部・スワヒリの世界」『アフリカ史』、119頁
- ^ a b デヴィドソン『ブラックマザー』、171頁
- ^ a b バットゥータ『大旅行記』3巻(家島訳注)、419頁
- ^ バットゥータ『大旅行記』3巻(家島訳注)、413頁
- ^ 家島『海が創る文明』、327頁
- ^ a b マトベイエフ「スワヒリ文明の発展」『ユネスコ・アフリカの歴史』4 下巻、670頁
- ^ 家島『海が創る文明』、285頁
- ^ 家島『海が創る文明』、328頁
- ^ 家島『海が創る文明』、330頁
- ^ バットゥータ『大旅行記』3巻(家島訳注)、223-224頁
- ^ マトベイエフ「スワヒリ文明の発展」『ユネスコ・アフリカの歴史』4 下巻、674頁
- ^ 家島『海が創る文明』、235-236頁
- ^ 家島『海が創る文明』、239頁
- ^ 家島『海が創る文明』、276頁
- ^ 富永「東アフリカ沿岸部・スワヒリの世界」『アフリカ史』、122-123頁
- ^ a b c クリフ『ヴァスコ・ダ・ガマの「聖戦」』、271-274頁
- ^ a b c d 富永「東アフリカ沿岸部・スワヒリの世界」『アフリカ史』、124頁
- ^ 『ユネスコ世界遺産 12(中央・南アフリカ)』、182頁
- ^ 富永「東アフリカ沿岸部・スワヒリの世界」『アフリカ史』、125頁
- ^ マトベイエフ「スワヒリ文明の発展」『ユネスコ・アフリカの歴史』4 下巻、680-681頁
- ^ a b マトベイエフ「スワヒリ文明の発展」『ユネスコ・アフリカの歴史』4 下巻、669頁
- ^ a b マトベイエフ「スワヒリ文明の発展」『ユネスコ・アフリカの歴史』4 下巻、676頁
- ^ デヴィドソン『ブラックマザー』、170頁
- ^ 家島『海が創る文明』、284-285頁
- ^ 中村「キルワ島の海環境とキルワ王国」『比較人文学研究年報』4巻、56頁
- ^ a b c マトベイエフ「スワヒリ文明の発展」『ユネスコ・アフリカの歴史』4 下巻、683頁
- ^ 中村「キルワ島の海環境とキルワ王国」『比較人文学研究年報』4巻、59頁
- ^ マトベイエフ「スワヒリ文明の発展」『ユネスコ・アフリカの歴史』4 下巻、681頁
- ^ a b マトベイエフ「スワヒリ文明の発展」『ユネスコ・アフリカの歴史』4 下巻、682頁
- ^ バットゥータ『大旅行記』3巻(家島訳注)、146頁
- ^ バットゥータ『大旅行記』3巻(家島訳注)、222頁
- 1 キルワ王国とは
- 2 キルワ王国の概要
- 3 建築
- 4 参考文献
- キルワ王国のページへのリンク