カニング伯爵とは? わかりやすく解説

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カニング伯爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 14:12 UTC 版)

カニング伯爵
Earl Canning
創設時期 1859年5月21日
創設者 ヴィクトリア
貴族 連合王国貴族
初代 初代伯チャールズ・カニング
最終保有者 初代伯チャールズ・カニング
付随称号 カニング子爵
現況 廃絶
断絶時期 1862年6月17日
モットー 不幸に屈するのではなく
不幸に抗え

(Ne cede malis sed contra)

カニング伯爵(Earl Canning)は、かつて存在した連合王国貴族伯爵位。インド総督を務めた第2代カニング子爵チャールズ・カニング1859年に叙されたのに始まるが、子供がなかったため1862年に彼が死去すると廃絶した。

歴史

イギリスの首相(在職1827年)外務大臣(在職1807年-1809年,1822年-1827年)を務めたトーリー党の政治家ジョージ・カニング(1770年-1827年)の妻ジョアン・カニング(1776年-18371837年)(陸軍将官ジョン・スコット英語版の娘)は、夫の死後の1828年1月22日に連合王国貴族爵位キルケニー県におけるキルブラハムのカニング女子爵(Viscountess Canning, of Kilbraham in the County of Kilkenny)に叙せられた。この爵位には彼女の夫の直系・嫡出の男系男子に継承される特別継承者(special remainder)の規定が付けられていた[1]

この規定により彼女の死後、カニング夫妻の三男(長男と次男は男子なく死去していた)であるチャールズ・ジョン・カニング(1812年–1862年)が2代カニング子爵位を継承した[2]。彼も保守党穀物法廃止を巡る保守党分裂後はピール派に属した政治家であり、第二次ピール内閣の木材・森林長官英語版(在職1846年)アバディーン伯爵内閣の郵政長官英語版(在職1853年-1855年)を務めた後、1856年2月にインド総督に就任した。1857年から1858年にかけてインド大反乱の鎮圧にあたり、その功績により1859年5月21日に連合王国貴族爵位カニング伯爵に叙された[3][2]

しかし子供がなかったため、彼の死去とともにカニング伯爵位とカニング子爵位は廃絶した[2]

歴代当主

カニング子爵 (1828年)

カニング伯爵 (1859年)

関連項目

出典

  1. ^ Lundy, Darryl. “Joan Scott, Viscountess Canning of Kilbrahan” (英語). thepeerage.com. 2019年9月8日閲覧。
  2. ^ a b c Lundy, Darryl. “Charles John Canning, 1st Earl Canning” (英語). thepeerage.com. 2019年9月8日閲覧。
  3. ^ 浜渦哲雄 1999, p. 107-111.

参考文献

  • 浜渦哲雄『大英帝国インド総督列伝 イギリスはいかにインドを統治したか』中央公論新社、1999年(平成11年)。ISBN 978-4120029370 

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