オスマン帝国の国歌とは? わかりやすく解説

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オスマン帝国の国歌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 08:09 UTC 版)

オスマン帝国は、13世紀後半の設立以来、賛歌を使用していたが、19世紀までは特定の帝室歌または国歌を使用していなかった。マフムト2世の治世中、軍隊および皇帝の楽団が西洋の路線に沿って再編成された際、ジュゼッペ・ドニゼッティ英語版ガエターノ・ドニゼッティの兄)はその指揮に招かれた。オスマン帝国ではドニゼッティ・パシャとして知られた彼は、最初の西洋風の帝室歌、Mahmudiye Marşı(マフムディエ・マルシュ)を作曲した。

当時の他の多くの君主制国家のように、オスマン帝国の国歌は、皇帝あるいは帝室の讃歌であった。したがって、特定の支配者に敬意を払い、皇位継承のたびに新しい国歌が作られた。しかし、1844年、タンジマート改革により、Mecidiye Marşı(メジディエ・マルシュ)はオスマン帝国初の公式の国歌として認められた。また、初の公式の国旗(現在のトルコ国旗と実質的に同一であった)も同年に採択された。

一覧

Hamidiye Marşı,March of Abdulhamidの作曲者Necip Ahmed Pasha
オスマン帝国の国歌の一覧
# 国歌 スルタン 使用年 作曲者
1 Mahmudiye Marşı, March of Mahmud[1] マフムト2世 1808年-1839年 ジュゼッペ・ドニゼッティ英語版
2 Mecidiye Marşı, March of Abdülmecid[2] アブデュルメジト1世 1839年-1861年 ジュゼッペ・ドニゼッティ
3 Aziziye Marşı, March of Abdülaziz[3] アブデュルアズィズ 1861年-1876年 Callisto Guatelli
4 Hamidiye Marşı, March of Abdulhamid[4] アブデュルハミト2世 1876年-1909年 Necip Ahmed Pasha
5 Reşadiye Marşı, March of Mehmed[5] メフメト5世 1909年-1918年 Italo Selvelli
6 Mahmudiye Marşı, March of Mahmud[1] メフメト6世 1918年-1921年 ジュゼッペ・ドニゼッティ

脚注

  1. ^ a b March of Mahmud
  2. ^ March of Abdülmecid
  3. ^ March of Abdülaziz
  4. ^ March of Abdulhamid
  5. ^ March of Mehmed Resad

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