エルフガー (マーシア伯)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > エルフガー (マーシア伯)の意味・解説 

エルフガー (マーシア伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/02 13:28 UTC 版)

エルフガー
Ælfgar
ガスラク・ロールの円形画。聖ガスラクの聖廟に寄進した人々を描いており、エゼルバルド (マーシア王)、修道院長サーケテル、エルフガー伯が描かれている。

在位期間
1057年1062年
先代 レオフリック英語版
次代 エドウィン

イースト・アングリア伯英語版
在位期間
1053年1057年
先代 ハロルド・ゴドウィンソン
次代 ギルス・ゴドウィンソン

死亡 1062年頃
父親 レオフリック英語版
母親 ゴダイヴァ夫人
配偶者 エルギフ
子女
バーグへアド英語版
エドウィン
モーカー
エディス英語版
信仰 キリスト教
テンプレートを表示

エルフガーÆlfgar、生年不詳 - 1062年?)とは、11世紀のアングロサクソン人貴族である。マーシア伯レオフリック英語版と、その有名な妻ゴダイヴァ夫人の子である[1]。彼は父レオフリック伯の死後、1057年にマーシア伯の地位を継承し、さらにイースト・アングリア伯英語版の称号をも獲得したが、一時的に追放されている。彼の娘の最初の結婚を通じて、ウェールズ王グリフィズ・アプ・リウェリン英語版の義父となった。エルフガーの死後数年で、娘は未亡人となり、ハロルド・ゴドウィンソンと再婚した。

戦争と追放

エルフガーは、1051年にウェセックス伯ゴドウィンとその息子たちがイングランドから追放された際に利を得て、元々ゴドウィンの息子であるハロルド・ゴドウィンソンが領していたイースト・アングリア伯英語版領を獲得した。しかし、翌年、ゴドウィン伯と国王エドワード証聖王が和解し、イングランドに帰国したハロルドはイースト・アングリア伯爵位を取り戻した。だが、それは長くは続かなかった。1053年の復活祭の頃、ゴドウィンが死去しハロルドがウェセックス伯に昇格したため、イースト・アングリア伯位は再びエルフガーの手に戻った[2][3]

1055年、エルフガーは国王より追放処分を受けた。しかし、エルフガーは、かつてゴドウィン伯が王に対してしたように、彼もまた国王に対して圧力をかけた。追放後、エルフガ―はアイルランドで18隻の船を調達し、さらにウェールズグリフィズ・アプ・リウェリン英語版と同盟を結び、エドワード王に対抗した。10月24日、彼らはヘレフォードの2マイル手前でヘレフォード伯英語版ラルフ英語版の軍と衝突した。この戦いでラルフ伯とその軍は敗走し、グリフィズ王とエルフガーは彼らを追撃して多くを殺傷した後、ヘレフォードを略奪・焼き払った。エドワード王はすぐに軍を招集し、ハロルド・ゴドウィンソン伯を指揮官に任命した。エルフガーらにとってこの新たな軍勢に対抗することは難しく、エルフガーとグリフィズは南ウェールズへ撤退した。しかし、外交交渉によってエルフガーは復権を果たした[4]

家族

エルフガーはアングロ・ノルマン系貴族ウィリアム・マレット英語版(アイ領主)の姉妹とされているエルギフという人物と結婚したとされる。彼女はまた、エルギフ・オブ・ノーサンプトンクヌート大王の最初の妃)の親族であった可能性もある[2]。 彼には少なくとも4人の子供がいたが、正確な誕生年は不明である。

バーグヘアドは1061年初頭にローマからの帰路で死去し、ランスに埋葬された。これにより、エルフガーはスタッフォードシャーシュロップシャーの土地をランス修道院に寄進し、それがラプリー修道院英語版の設立資金となった。彼は3人の子供を残して世を去った[2]

エルフガーは1062年頃に死去したと考えられている。彼はヘイスティングスの戦いの前に亡くなっており、彼の娘の子供たち(敗れたハロルド王の子孫)は、後に亡命生活を送ったと考えられている。

脚注

  1. ^ Patrick W. Montague-Smith, Letters: Godiva's family tree, タイムズ, 25 January 1983
  2. ^ a b c d Ann Williams, 'Ælfgar, earl of Mercia (d. 1060)', Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, 2004 accessed 18 April 2008
  3. ^ アングロ・サクソン年代記
  4. ^ ジョン・オブ・ウスター年代記 ed. and trans. R. R. Darlington, P. McGurk and J. Bray (Clarendon Press: Oxford 1995), pp.576-79; アングロ・サクソン年代記
  5. ^ Baxter, Stephen (2008), “The death of Burgheard son of Ælfgar and its context”, in Fouracre, Paul; Ganz, David, Frankland. The Franks and the world of the Early Middle Ages. Essays in honour of Dame Jinty Nelson, Manchester University Press, pp. 266–284, ISBN 978-0-7190-7669-5 

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  エルフガー (マーシア伯)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エルフガー (マーシア伯)」の関連用語

エルフガー (マーシア伯)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エルフガー (マーシア伯)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエルフガー (マーシア伯) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS