エルネスト・メソニエとは? わかりやすく解説

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エルネスト・メソニエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/16 09:50 UTC 版)

エルネスト・メソニエ
Ernest Meissonier
Robert Jefferson Binghamによる肖像画
生誕 1815年2月21日
フランス王国リヨン
死没 1891年1月31日
フランス共和国パリ
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ジャン=ルイ=エルネスト・メソニエ(Jean Louis Ernest Meissonier、1815年2月21日 - 1891年1月31日)はフランスの画家である。

略歴

リヨンの貧しい家庭に生まれた。19歳になってパリに出て、レオン・コニエの工房で学び、ルーヴル美術館で巨匠の作品を模写して修行した。17世紀のオランダの画家、ピーテル・パウル・ルーベンスアンソニー・ヴァン・ダイクの作品を模写した。生活費のために、著作の挿絵を描く仕事をした。21歳になった1836年にサロン・ド・パリ風俗画でデビューし、その後も出展を続け、観覧者や批評家に好評を博し、1841年にはメダルを受賞した。

第二次イタリア独立戦争中の1859年6月にナポレオン3世が率いるフランス帝国軍とサルデーニャ王国軍の連合軍がオーストリア帝国軍に勝利したのを受けて、政府からこの勝利を記念する絵画を描くことを依頼されたメソニエは3年以上かけて『ソルフェリーノの戦いのナポレオン3世』を描いた。その後、近時代の歴史を題材に選ぶようになり、フランス革命やその後の戦闘の場面を描くようになった。歴史の舞台となった場所も訪れた。

1846年にレジオンドヌール勲章のシュヴァリエ、1856年にオフィシエ、1867年にコマンドゥール、1880年にグラントフィシエを受勲し、1889年10月にレジオンドヌール勲章の最高章グランクロワを受勲した。

1890年に国民美術協会(the Société Nationale des Beaux-Arts)が再建された時会長に選ばれたがメソニエは翌年の1月に没し、ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌが後任となった。

作品

参考文献

  • Vallery C. O. Gréard: Meissonier: His Life and his Art. William Heinemann, London 1897.
  • Ernest Meissonier. In: Hans Vollmer (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 24: Mandere–Möhl. E. A. Seemann, Leipzig 1930, S. 347.
  • Ross King: The Judgement of Paris. The Revolutionary Decade that gave the World Impressionism. Pimlico Edition, London 2007, ISBN 978-1-844-13407-6.



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