エッセン・フィルハーモニー管弦楽団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/03 07:19 UTC 版)
エッセン・フィルハーモニー 管弦楽団 |
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原語名 | ドイツ語: Essener Philharmoniker |
出身地 | ![]() |
ジャンル | クラシック音楽 |
活動期間 | 1899年 - |
公式サイト | Essener Philharmoniker |
エッセン・フィルハーモニー管弦楽団 (エッセンフィルハーモニーかんげんがくだん、ドイツ語: Essener Philharmoniker) は、ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州エッセンに本拠を置くオーケストラ。
概要
1899年エッセンの市立管弦楽団として設立された。市立の歌劇場であるアールト劇場の専属オーケストラも兼ねており、オペラやバレエの公演にも参加している。シンフォニーコンサートでは、音響の優れたフィルハーモニー・エッセンのアルフリード・クルップ・ザールを本拠地としている[1]。
歴史
1899年にエッセン市のオーケストラとして設立。初代音楽監督は、ゲオルク・ヘンドリック・ヴィッテ。
1906年、グスタフ・マーラーが、自作の交響曲第6番を初演した[2]。リヒャルト・シュトラウスやマックス・レーガーも客演し自作を指揮している[3]。
第二次世界大戦後、戦災からの復興を経て、グスタフ・ケーニヒが30年以上の長期にわたり音楽総監督を務め、アンサンブルの基礎を再構築した。その後、日本でも馴染みの深いハインツ・ワルベルクが音楽総監督を務めている。
1988年にオペラハウス、アールト劇場が完成し、活動の新たな拠点となった[4]。また、19世紀半ばからコンサート会場として使用され戦後再建された、楽団の本拠地であるフィルハーモニー・エッセンが2004年に大改修されオープンした[1]。
歴代音楽総監督等
- ゲオルク・ヘンドリック・ヴィッテ (1899年–1911年)
- ヘルマン・アーベントロート (1911年–1916年)
- マックス・フィードラー (1916年–1933年)
- ヨハネス・シューラー (1933年–1936年)
- アルベルト・ビットナー (1936年–1944年)
- グスタフ・ケーニヒ (1944年–1975年)
- ハインツ・ワルベルク (1975年–1991年)
- ヴォルフ=ディーター・ハウシルト (1991年–1997年)
- ステファン・ゾルテス (1997年–2013年)
- トマーシュ・ネトピル (2013年–2023年)
- アンドレア・サンギネティ (2023年- )[5]
脚注
出典
- ^ a b “L-Acousticsの技術がエッセン・フィルハーモニー管弦楽団のパフォーマンスを向上させる”. Bestec Audio. 2025年7月3日閲覧。
- ^ “14年前の今日、マーラー自身の指揮で交響曲第6番《悲劇的》初演!”. ONTOMO メールマガジン. 気まぐれ音楽カレンダー♪. 音楽之友社 (2020年5月27日). 2025年7月3日閲覧。
- ^ “Essener Philharmoniker” (ドイツ語). CONCERTI. 2025年7月3日閲覧。
- ^ “Der schönste Theaterbau nach 1945 Aalto-Theater” (ドイツ語). visitessen. STADT ESSEN. 2025年7月3日閲覧。
- ^ “Andrea Sanguineti Generalmusikdirektor” (ドイツ語). Theater Essen. 2025年7月3日閲覧。
外部リンク
- Essener Philharmoniker - 公式ウェブサイト
- エッセン・フィルハーモニー管弦楽団のページへのリンク