ウィルブラハム・トルマッシュ (第6代ダイザート伯爵)とは? わかりやすく解説

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ウィルブラハム・トルマッシュ (第6代ダイザート伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/31 07:37 UTC 版)

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1750年から1755年ごろの肖像画。

第6代ダイザート伯爵ウィルブラハム・トルマッシュ英語: Wilbraham Tollemache, 6th Earl of Dysart FRS1739年10月23日1821年3月9日)は、イギリスの政治家、スコットランド貴族ホイッグ党に所属し[1]、1771年から1784年まで庶民院議員を務めた[2]

生涯

第4代ダイザート伯爵ライオネル・トルマッシュと妻グレース(Grace、旧姓カートレット(Carteret)、1713年7月8日 – 1755年7月23日、第2代グランヴィル伯爵ジョン・カートレットの娘)の息子として、1739年10月23日に生まれた[1]。1761年にイギリス陸軍に入隊して第106歩兵連隊の大尉になり、1763年に一旦半給になったが1765年に第6歩兵連隊の大尉に復帰、1771年に少佐に昇進した後、1772年に軍務から引退した[2]

1771年12月、母方の親族にあたる初代スペンサー伯爵ジョン・スペンサー[注釈 1]の支持を受けて[2]ノーサンプトン選挙区英語版の補欠選挙に出馬して当選した[4]1774年イギリス総選挙でもスペンサー伯爵の推す候補として再選を目指し、選挙戦の最後に立候補を表明した第7代準男爵サー・ジェームズ・ランガム英語版を大差で破り、786票でトップ当選した[4]1780年イギリス総選挙ではスペンサー伯爵の息子オールトラップ子爵ジョージ・スペンサーが立候補したため[4]、トルマッシュは代わりに親族にあたる第2代シェルバーン伯爵ウィリアム・ペティ[注釈 2]の力を借り、エドワード・エリオット英語版に金銭を支払ってリスカード選挙区英語版の議席を購入した[2][6]

議会では長らくノース内閣期の野党の一員として行動、シェルバーン伯爵内閣期にもアメリカ独立戦争の予備講和条約に反対票を投じたが、1784年初にフォックス=ノース連立内閣を支持して第1次小ピット内閣に反対した[2]。これにより同年の総選挙でエリオットに再選を拒否されたが、スペンサー伯爵など野党の指導者からも議席を与えられなかったため、議員を退任した[2]。1785年にチェシャー州長官英語版を務め、のちにイプスウィッチ執事英語版も務めた[1][7]

1799年2月22日に兄ライオネルが死去すると、ダイザート伯爵位を継承した[1]

1805年11月7日、王立協会フェローに選出された[8]

1821年3月9日にハム・ハウス英語版で死去、3月11日にヘルミンガム英語版で埋葬された[1]。子女がおらず、ダイザート伯爵位は妹ルイーザが継承した[1]。一方、従属爵位であるイングランドの準男爵位(1611年創設)は廃絶した[7]

家族

妻アンナ・マリアの肖像画。ジョシュア・レノルズ画、1773年/1774年。

1773年2月4日、アンナ・マリア・ルイス(Anna Maria Lewis、1745年 – 1804年9月14日、デイヴィッド・ルイスの娘)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[1]

注釈

  1. ^ スペンサー伯爵の母もトルマッシュの母と同じく、第2代グランヴィル伯爵の娘である[3]
  2. ^ シェルバーン伯爵の1番目の妻もトルマッシュの母と同じく、第2代グランヴィル伯爵の娘である[5]

出典

  1. ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 564–565.
  2. ^ a b c d e f Christie, I. R. (1964). "TOLLEMACHE, Hon. Wilbraham (1739-1821), of Calveley Hall, Cheshire". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年7月31日閲覧
  3. ^ Cruickshanks, Eveline (1970). "SPENCER, Hon. John (1708-46), of Wimbledon Park, Surr. and Althorp Park, Northants.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年7月31日閲覧
  4. ^ a b c Brooke, John (1964). "Northampton". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年7月31日閲覧
  5. ^ Namier, Sir Lewis (1964). "PETTY, William, Visct. Fitzmaurice (1737-1805), of Bowood, Wilts.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年7月31日閲覧
  6. ^ Namier, Sir Lewis (1964). "Liskeard". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年7月31日閲覧
  7. ^ a b Paul, James Balfour, Sir, ed. (1906). The Scots Peerage (英語). III. Edinburgh: David Douglas. pp. 411–412.
  8. ^ "Tollemache; Wilbraham (1739 - 1821); 6th Earl of Dysart". Record (英語). The Royal Society. 2021年7月31日閲覧
グレートブリテン議会英語版
先代:
サー・ジョージ・ロドニー準男爵
トマス・ハウ閣下
庶民院議員(ノーサンプトン選挙区英語版選出)
1771年 – 1780年
同職:サー・ジョージ・ロドニー準男爵 1771年 – 1774年
サー・ジョージ・ロビンソン準男爵英語版 1774年 – 1780年
次代:
オールトラップ子爵
ジョージ・ロドニー
先代:
エドワード・ギボン
サミュエル・ソルト英語版
庶民院議員(リスカード選挙区英語版選出)
1780年1784年
同職:サミュエル・ソルト英語版
次代:
エドワード・ジェームズ・エリオット英語版
ジョン・エリオット英語版
名誉職
先代:
トマス・ウィリス
チェシャー州長官英語版
1785年
次代:
ヘンリー・コーンウォール・リー
スコットランドの爵位
先代:
ライオネル・トルマッシュ
ダイザート伯爵
1799年 – 1821年
次代:
ルイーザ・トルマッシュ
イングランドの準男爵
先代:
ライオネル・トルマッシュ
(ヘルミンガムの)準男爵
1799年 – 1821年
廃絶



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