ウィリアム・ギブソン (映画プロデューサー)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ウィリアム・ギブソン (映画プロデューサー)の意味・解説 

ウィリアム・ギブソン (映画プロデューサー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/29 09:32 UTC 版)

オーストラリアの映画プロデューサー、実業家、ウィリアム・アルフレッド・ギブソンの似顔絵。

ウィリアム・アルフレッド・ギブソン(William Alfred Gibson、1869年 - 1929年10月6日)は、 オーストラリア映画プロデューサー、映画館経営者で、ミラード・ジョンソンとの共同事業によって最もよく知られた。1906年の映画『The Story of the Kelly Gang』のプロデューサーのひとりであり、アマルガメイテッド・ピクチャーズ英語版の設立に参画した[1][2]

もともとギブソンは、ウィリアム・ジョンソン (William Johnson) の下で、化学者として働き、初期の映画興行者たちに化学薬品類を供給していた。やがて、ジョンソンの息子ミラードと共に、自ら映画館経営に乗り出し、さらにフィルムの現像処理や、撮影も手がけるようになっていった[3]

ギブソンはジョンソンと協力して、『The Story of the Kelly Gang』の制作を支援したが、この作品は、一説には世界最初のフィーチャー映画(長編映画)とされている。この作品は、テイト兄弟英語版が制作したが、彼らはその後、ギブソンやジョンソンとともにアマルガメイテッド・ピクチャーズを設立することとなった。

アマルガメイテッド・ピクチャーズは、後に他の会社との合併を重ね、オーストラリアン・フィルムズ英語版とユニオン・シアターズ (Union Theatres) となり、両者が結びついた、通称「コンバイン英語版」は、1920年代のオーストラリアにおける映画配給と上映を実質的に支配した。ギブソンは、その経営責任者であった[4]

栄誉

ギブソンは、1920年10月19日に、大英帝国勲章 (OBE) を受章した[5]

脚注

外部リンク





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ウィリアム・ギブソン (映画プロデューサー)」の関連用語

ウィリアム・ギブソン (映画プロデューサー)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ウィリアム・ギブソン (映画プロデューサー)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのウィリアム・ギブソン (映画プロデューサー) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS