アーギュスト・マルムストレムとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 美術家 > 美術家・芸術家 > 19世紀の美術家 > アーギュスト・マルムストレムの意味・解説 

アーギュスト・マルムストレム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 23:32 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
アーギュスト・マルムストレム
August Malmström
Wilhelmina Lagerholmによる肖像画
生誕1829年10月14日
スウェーデン,Motala Municipality
死没1901年10月18日
スウェーデン,ストックホルム

アーギュスト・マルムストレムAugust Malmström1829年10月14日 - 1901年10月18日)は、19世紀に活躍したスウェーデン画家

略歴

エステルイェータランド県の代々、大工もかねる農家に生まれた。近傍の教会の内装など実家の仕事を手伝っているうちに絵の才能を示し、家族から少ない学資を与えられて、1849年11月に21歳でストックホルムスウェーデン王立美術院に入学を認められた。

王立美術院でも才能を示し、さまざまな援助を受けて、修行を続けた。1855年の外国への留学奨学資金が得られる展覧会に参加するが、それには入選しなかった。この時期、スウェーデンより進んだ美術教育が行われていたデュッセルドルフ美術アカデミーに北欧の美術家たちは留学するようになっていてマルムストレムも1856年から2年間、デュッセルドルフで修行した。デュッセルドルフで描いた絵画をスウェーデンの展覧会に出品し、賞を受賞し王立美術院から海外留学の資金援助が得られるようになった。デュッセルドルフでは、ノルウェー出身の画家、ハンス・フレデリック・ギューデ(Hans Fredrik Gude)に学び、しばらく訪れたパリではトマ・クチュールに学んだ。

1859年から1860年の間と1863年にはイタリアも旅し、1864年にスウェーデンに帰国し、美術院の会員となり、1867年に美術院の教授職についた。1887年から1893年は美術院の美術学校の校長を務めた。油絵だけでなく、新聞やペテル・クリスティン・アスビョルンセンザクリス・トペリウスの著作などの挿絵も描いた。

主な作品

参考文献

  • Malmström, Johan August. In: Hermann Alexander Müller: Biographisches Künstler-Lexikon. Verlag des Bibliographischen Instituts, Leipzig 1882, S. 350.




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アーギュスト・マルムストレム」の関連用語

アーギュスト・マルムストレムのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アーギュスト・マルムストレムのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアーギュスト・マルムストレム (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS