グスタヴ・セーデルストレムとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 美術家 > 美術家・芸術家 > 19世紀の美術家 > グスタヴ・セーデルストレムの意味・解説 

グスタヴ・セーデルストレム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 08:58 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
グスタヴ・セーデルストレム
Gustaf Cederström
生誕 1845年4月12日
スウェーデン,ストックホルム
死没 1933年8月20日
スウェーデン,ストックホルム

グスタヴ・ウローヴ・セーデルストレムGustaf Olof Cederström1845年4月12日 - 1933年8月20日)は、スウェーデン画家である。

略歴

ストックホルムに海軍士官の息子に生まれた[1]。先祖が18世紀初めにカール12世にしたがってベンデルでの戦いに参加したとされ、子供の頃から歴史好きであった[1] 。初め軍人を目指し1864年に海軍に入るが、1870年に除隊し、芸術家の道に進むことにした[2]。ストックホルムの美術学校で学んだ後、デュッセルドルフ美術アカデミーフェルディナンド・ファーゲルリーンに学び、パリではレオン・ボナに学び、イタリアでも学んだ。1873年にパリで描いた一連の絵画で注目されるようになった[3]

1878年にスウェーデン王立美術院の会員に選ばれ、翌年美術院の教授に任じられ、1899年から1911年の間は美術院の校長を務めた[4][5]

1878年のパリの万国博覧会にカール12世を描いた一連の歴史画を出展した。この絵は、カール12世の退却が冬ではなかったなど史実には忠実ではなかったが象徴的に描かれていた。この絵はロシア大公コンスタンチン・ニコラエヴィチに買い取られ[3]革命後に買い戻されてスウェーデン国立美術館に収蔵されている。

歴史画の他に、肖像画、人物画も描いた。

主な作品

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b Gustaf Cederström Krusenberg Herrgård
  2. ^ Svensk uppslagsbok, 1930
  3. ^ a b Svensk uppslagsbok, Malmö 1930
  4. ^ Svensk uppslagsbok, Malmö 1939
  5. ^ Gustaf Olof Cederström Konstnärslexikonett Amanda
  6. ^ a b 『北欧史』(百瀬宏熊野聰・村井誠人著、山川出版社〈新版世界各国史21〉、1998年)口絵3頁。

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「グスタヴ・セーデルストレム」の関連用語

グスタヴ・セーデルストレムのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



グスタヴ・セーデルストレムのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのグスタヴ・セーデルストレム (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS