アンティオコス7世シデテスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アンティオコス7世シデテスの意味・解説 

アンティオコス7世シデテス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/27 08:37 UTC 版)

アンティオコス7世
Αντίοχος Ζ' Σιδήτης
アンティオコス7世をあしらった硬貨
在位 紀元前138年 - 紀元前129年

出生 紀元前159年?
死去 紀元前129年
配偶者 クレオパトラ・テア
子女 アンティオコス9世
王朝 セレウコス朝
父親 デメトリオス1世
母親 ラオディケ5世
テンプレートを表示

アンティオコス7世シデテスΑντίοχος Ζ' Σιδήτης紀元前159年? - 紀元前129年)は、セレウコス朝シリアの王(在位:紀元前138年 - 紀元前129年)。デメトリオス1世ソテルの子。デメトリオス2世ニカトルの弟。シデにて育ったためシデテス(シデの人)の添え名を持つ。

生涯

紀元前139年頃、兄デメトリオス2世ニカトルパルティアの捕虜となると、兄嫁クレオパトラ・テアと結婚し即位した。アンティオコス6世より王位を簒奪していたトリュフォンを滅ぼし、紀元前135年頃、ハスモン朝イスラエルを攻撃し、エルサレムを攻略して、一時的に属国とした(シデテスの死で独立)。

パルティアへの攻撃を行ない、メソポタミアメディア奪回に迫ったが、パルティア側はセレウコス朝の内乱を狙い、兄王を釈放、シリア陣営を奇襲してシデテスを殺害した(紀元前129年)。シデテスの死後、崩壊しつつあったセレウコス朝はたび重なる内乱で統治能力を喪失していった。

シデテスとクレオパトラ・テアの子アンティオコス9世キュジケノスは、後に王位を主張し内戦を引き起こすこととなる。

参考文献

先代
デメトリオス2世ニカトル
セレウコス朝君主
紀元前138年 - 紀元前129年
次代
デメトリオス2世ニカトル



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  アンティオコス7世シデテスのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アンティオコス7世シデテス」の関連用語

アンティオコス7世シデテスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アンティオコス7世シデテスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアンティオコス7世シデテス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS