アレッサンドロ・ロンギとは? わかりやすく解説

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アレッサンドロ・ロンギ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/23 00:34 UTC 版)

アレッサンドロ・ロンギ
Alessandro Longhi
1762年の自画像
生誕 1733年6月12日
ヴェネツィア
死没 1813年11月9日
ヴェネツィア
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ロンギ作「ヴェネツィア公アルヴィーゼ・ピサーニの家族の集団肖像画」(c.1758) 、 アカデミア美術館 (ヴェネツィア)

アレッサンドロ・ロンギ(Alessandro Longhi、1733年6月12日 - 1813年11月9日[1])は、イタリアの画家、版画家である。ヴェネツィアの有力者の肖像画などで知られる。

略歴

ヴェネツィアで有名な風俗画家のピエトロ・ロンギ(1701-1785)の息子に生まれた。父親から絵を学んだ後、肖像画が得意な画家のジュゼッペ・ノガーリ(Giuseppe Nogari: 1699–1763)の弟子になった。1757年には展覧会に出展し、その後ヴェネツィアの有力な貴族、ピサーニ家(Pisani)の家族の肖像画を描いて、肖像画家としての名声を得た。

1759年にヴェネツィア美術アカデミーの会員になった。 1762年にヴェネツィアの芸術家の伝記が含まれる著書『今世紀の有名なヴェネチアの画家の伝記総覧(Compendio delle Vite de' Pittori Veneziani Istorici piu rinomati del presente secolo)』を出版した。

17世紀後半のヴェネツィアの肖像画家セバスティアーノ・ボンベッリ(Sebastiano Bombelli: 1635–1719)と同じように、ヴェネツィアの高官が正装(公服)で華やかなかつらをつけた姿を描き、装飾品などで、社会的な地位を強調するスタイルの肖像画を描いた。

またエッチング版画による複製画の制作もした。

1813年にヴェネツィアで没した。

作品

脚注

  1. ^ « Acte de décès no 1209 d'Alessandro Longhi du registre des décès de l'année 1813 de la commune de Venise » [archive], sur dl.antenati.san.beniculturali.it, 9 novembre 1813 (consulté le 5 août 2019) - Note. L'acte a été dressé le 9 novembre 1813 et il est mort aujourd'hui.

参考文献

  • Rudolf Wittkower, Rudolf, Pelican History of Art, 1980. Penguin Books Ltd (1993), "Art and Architecture Italy, 1600-1750", p. 493.



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