アレクサンドル・イワノビッチ・モロゾフとは? わかりやすく解説

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アレクサンドル・イワノビッチ・モロゾフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/05 23:01 UTC 版)

アレクサンドル・イワノビッチ・モロゾフ
Александр Иванович Морозов
日付不詳の肖像写真
生誕 (1835-05-17) 1835年5月17日
ロシア、サンクトペテルブルク
死没 1904年11月28日(1904-11-28)(69歳没)
ロシア、サンクトペテルブルク
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アレクサンドル・イワノビッチ・モロゾフ(ロシア語: Александр Иванович Морозов, ラテン文字転写: Alexander Ivanovich Morozov1835年5月17日 - 1904年11月28日)は、ロシアの画家、版画家である[1]。農民の生活を題材に描いた。

略歴

サンクトペテルブルクで生まれた。父親のイワン・モロゾフ()はあま有名でない画家であった。1851年に帝国芸術アカデミーに入学し、新古典派の画家アレクセイ・タラソヴィチ・マルコフに学んだ[2]。1861年にアカデミーで金メダルを受賞したが、1863年にイワン・クラムスコイ(1837-1887)らと美術アカデミーに抗議してコンテストへの参加を辞退する「14人の反乱(Бунт четырнадцати)」の参加者になり、サンクトペテルブルクのフィンランド湾のワシリエフスキー島に集まった芸術家グループ「(サンクトペテルブルク)芸術家共同組合(Петербургская артель художников)のメンバーになった。

1874年から亡くなるまで、サンクトペテルブルクの公務員養成のための学校「帝国法学学校(Императорское училище правоведения)」などで絵を教えた[3]

移動派」の展覧会に定期的に参加したが、「移動派」の画家たちとの意見の相違があり、正式に会員になることはなかった。1873年のウィーン万国博覧会や1878年のパリ万国博覧会などの展覧会にも出展した[2]

1904年にサンクトペテルブルクで亡くなった。

作品

脚注

  1. ^ Great Soviet Encyclopedia, edited by Alexander Prokhorov Moscow (1974) Vol.16, "Мёзия — Моршанск" [1]
  2. ^ a b RusArtNet: Brief biography
  3. ^ Морозов, Александр Иванович」『ブロックハウス・エフロン百科事典: 全86巻(本編82巻と追加4巻)』(ロシア語)、サンクトペテルブルク: ブロックハウス・エフロン、1890年 - 1907年。

参考文献

  • Punina, Irina N. (1966). Петербургская артель художников (in Russian). Leningrad: Khudozhnik RSFSR. pp. 9, 31, 36, 48, 62. OCLC 8966449.
  • Tarasov, Lev M. (1962)."Александр Иванович Морозов". In Leonov, Alexei I. (ed.). Русское искусство. Очерки о жизни и творчестве художников. Вторая половина XIX века (in Russian). Vol. 1. Moscow: Iskusstvo. pp. 115–130. OCLC 71538004.



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