アルベルト・ジョルケラ
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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はジョルケラ、第二姓(母方の姓)はフォルティアです。 |
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名前 | ||||||
本名 | アルベルト・ジョルケラ・フォルティア Albert Jorquera Fortia |
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ラテン文字 | Albert Jorquera | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1979年3月3日(43歳) | |||||
出身地 | バスカノー | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 右 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1998-1999 1999-2000 2000-2001 2001-2002 2002-2003 2003-2009 2009-2010 |
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? (?) 4 (0) 31 (0) 17 (0) 13 (0) 0 (0) ? (?) |
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代表歴 | ||||||
2007 | ![]() |
1 (0) | ||||
監督歴 | ||||||
2020-2021 | ![]() |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アルベルト・ジョルケラ・フォルティア(Albert Jorquera Fortia, 1979年3月3日 - )は、スペイン、カタルーニャ州バスカノー出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはGK。
経歴
FCバルセロナカンテラ出身選手の1人。抜群の安定感を誇った。2003-04シーズン第20節アスレティック・ビルバオ戦にてトップデビューを飾った。結果は1-1だったがこの試合で1対1を幾度となく止め、注目を浴びる。
リュストゥが退団した2004-05シーズンからはビクトル・バルデスに次ぐセカンドゴールキーパーとして起用された時期もあったが、怪我の影響もありレギュラーを確保することはできなかった。
2007年12月、親善試合で右膝十時靭帯を損傷し、長期離脱した[1]。
2009年8月、セグンダ・ディビシオンのジローナFCに移籍した。
2010年8月、ジローナFCと契約を延長せず、現役を引退。引退後は家業の宝石商に専念することを発表した[2]。
エピソード
- 彼がデビューを飾った試合はエドガー・ダービッツのデビュー戦と同じ試合であったが、期待されたダービッツ以上に活躍したことが注目される1つの要因となった。
- 実家が宝石商であり、現役時代からオフシーズンには彼自身も店先に立っていた。
- 同じくバルセロナのカンテラ出身であるマルク・クロサスは、いとこにあたる。
獲得タイトル
クラブ
- 2004-2005 FCバルセロナ リーガ・エスパニョーラ - 優勝
- 2005-2006 FCバルセロナ スペイン・スーパーカップ - 優勝
- 2005-2006 FCバルセロナ リーガ・エスパニョーラ - 優勝
- 2005-2006 FCバルセロナ UEFAチャンピオンズリーグ - 優勝
脚注
- ^ uefa.com (2007年12月30日). “ホルケラがひざ靭帯断裂の重傷”. 2009年7月11日閲覧。
- ^ fcbarcelona.jp (2010年8月12日). “ジョルケラ、現役引退”. 2010年8月12日閲覧。
固有名詞の分類
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