アルノールのドゥーネダイン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 23:09 UTC 版)
「ドゥーネダイン」の記事における「アルノールのドゥーネダイン」の解説
北方王国は1000年を待たずに3つに分裂した。アルセダインでは王統が保たれたが、カルドランとルダウアではイシルドゥアの子孫は絶えてしまった。特にルダウアはドゥーネダインの人数が非常に少なく、国の実権は山岳人の手にあったのだが、1409年のアングマールの侵攻でその残る少数もまた殺されるか駆逐されるかした。カルドランのドゥーネダインは何とか持ちこたえたが、後の疫病がはびこった時代に全滅した。 1974年にアルセダインも滅亡し、ドゥーネダインは旧アルノール領から姿を消すこととなった。しかし、かれらの血統までが失われたわけではなかった。
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