アルナウト・デ・マローユ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/04/02 14:32 UTC 版)
文学 |
---|
![]() |
ポータル |
各国の文学 記事総覧 出版社・文芸雑誌 文学賞 |
作家 |
詩人・小説家 その他作家 |
クラシック音楽 |
---|
![]() |
作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 ルネサンス - バロック 古典派 - ロマン派 近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 木管楽器 - 金管楽器 打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 交響曲 - ピアノ協奏曲 ピアノソナタ ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリンソナタ チェロ協奏曲 弦楽四重奏曲 - オペラ 指揮者 - 演奏家 オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 宗教音楽 |
イベント |
音楽祭 |
メタ |
ポータル - プロジェクト カテゴリ |
アルナウト・デ・マローユ(Arnaut de MarolhまたはArnaut de Mareuil)はプロヴァンスのトルバドゥール。1170年代から1200年ごろまで活躍した。「恋文」という恋愛詩の発案者といわれる。オック語による短詩も創り出した。同世代のアルナウト・ダニエルほど有名ではないが、優雅で簡潔な表現形式や繊細な情緒においてはダニエルを凌いでいる。
ペリゴール近郊のマルイユ=シュル=ベル出身。トゥールーズやベジエの宮廷に仕え、伯爵夫人アダラシアへの恋愛を神秘的な言葉で詠った。アダラシアの寵愛を得たために、アラゴン王アルフォンソ2世に敵視され、身の安全のために同地を去り、モンペリエ伯ギヨーム8世の保護を受けるが、その後もアダラシアへの求愛を続けていた。1199年にアダラシアが崩御するが、その頃にマローユによる挽歌が存在しないことから、すでにマローユは故人となっていたことが察せられる。
この記述には、アメリカ合衆国内で著作権が消滅した百科事典『ブリタニカ百科事典第11版』本文を含む。
- アルナウト・デ・マローユのページへのリンク