アイメリック・デ・ペギヤンとは? わかりやすく解説

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アイメリック・デ・ペギヤン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/29 04:49 UTC 版)

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アイメリック・デ・ペギヤン

アイメリック・デ・ペギヤン(Aimeric de Peguilhan, 1170年ごろ - 1230年ごろ)は、1190年から1220年にかけて活動した、ペギヤン(Peguilhan、現在のサン=ゴーダンス近郊)出身のトルバドゥール。衣服商の息子であった。トゥールーズ伯レーモン5世とレーモン6世の庇護を受けるが、アルビジョア十字軍の脅威によって南フランスを去り、10年ばかりイタリア北部に過ごす。少なくとも50の歌曲を作ったことがわかっているが、そのうち旋律が残っているのは次の6曲のみである。

  • Atressi•m pren com fai al jogador
  • Cel que s'irais ni guerrej' ab amor
  • En Amor trop alques en que•m refraing
  • En greu pantais m'a tengut longamen
  • Per solatz d'autrui chan soven
  • Qui la vi, en ditz

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