アモリウムとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アモリウムの意味・解説 

アモリウム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 02:27 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
アモリウムラテン語: Amorium
Ἀμόριον (ギリシア語)
アモリウムの遺跡群
トルコにおける位置
別名 Amorion, ʿAmmūriye, Amūrīn, Hergen Kale
所在地 トルコアフィヨンカラヒサール県、ヒサルカイ
地域 フリュギア
座標 北緯39度01分14秒 東経31度17分21秒 / 北緯39.02056度 東経31.28917度 / 39.02056; 31.28917座標: 北緯39度01分14秒 東経31度17分21秒 / 北緯39.02056度 東経31.28917度 / 39.02056; 31.28917
歴史
時代 ヘレニズムから中世盛期
支配者 アイソーポス(伝説上)、ミカエル2世
出来事 アモリオンの戦い

アモリウム(Amorium)は小アジア[1]フリュギアに存在していた都市。ヘレニズム時代に建設され、東ローマ帝国支配下で繁栄し、アモリオンの戦いの後に衰退した。東ローマのコンスタンティノープルキリキアを結ぶ軍用道付近に位置していた[2]トルコアフィヨンカラヒサール県エミルダーの中心地から13キロメートル東にあるヒサルカイという村の周囲、もしくは真下から遺跡やハイク(「墳丘墓、マウンド」の意味)が発見されている[3][4]

アモリウムはギリシャ語での名称「アモリオン」(ギリシア語: Ἀμόριον)をラテン語化させた名称である。アラブ/イスラム圏の文献ではアッムーリエと表記されている。オスマン帝国の支配下では重要性を取り戻すことは無く、へルゲン・カレー(Hergen Kale又はHergen Kaleh)と呼ばれた[1]

脚注

  1. ^ a b Herbermann, Charles, ed. (1907). "Amorios" . Catholic Encyclopedia. 1. New York: Robert Appleton Company.
  2. ^ M. Canard, "ʿAmmūriya"", Encyclopedia of Islam, Second Edition online 2012
  3. ^ Drew Bear, T. (2018年6月7日). “Places: 609302 (Amorion)”. Pleiades. 2015年2月19日閲覧。
  4. ^ Ivison, p. 27

典拠




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アモリウム」の関連用語

アモリウムのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アモリウムのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアモリウム (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS