アキス・ジコス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/16 07:58 UTC 版)
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名前 | ||||||
本名 | アンドレアス・ヴァシリオス・ジコス Andreas Vasilios Zikos Ανδρέας Βασίλειος Ζήκος |
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ラテン文字 | Akis Zikos | |||||
ギリシャ語 | Άκης Ζήκος | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1974年6月1日(50歳) | |||||
出身地 | アテネ | |||||
身長 | 180cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1993-1998 | ![]() |
114 | (4) | |||
1998-2002 | ![]() |
105 | (6) | |||
2002-2006 | ![]() |
103 | (2) | |||
2006-2008 | ![]() |
50 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
1996-2001 | ![]() |
18 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アンドレアス・ヴァシリオス・ジコス(ギリシャ語: Ανδρέας Βασίλειος Ζήκος, ラテン文字転写: Andreas Vasilios Zikos、1974年6月1日 - )は、ギリシャの元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
クラブ経歴
シュコダ・クサンティ
1993年にシュコダ・クサンティFCでプロキャリアをスタートし4シーズンをギリシャ・スーパーリーグで過ごした[1]。
AEKアテネ
1998年夏、AEKアテネFCに1億3000万ドラクマで移籍した[2]。テオドロス・ザゴラキスとは彼が2000年に退団するまで、中盤で驚異的なコンビを形成した。2000年と2002年にはキペロ・エラーダス優勝を果たした。2002年夏、首脳陣との関係悪化に伴い、国外移籍を決断した[3]。
モナコ
2002年夏、ASモナコと契約し4シーズンをリーグ・アンで過ごした。2003年にクープ・ドゥ・ラ・リーグ優勝を果たすと、2004年にはディディエ・デシャン監督の下でUEFAチャンピオンズリーグ決勝に進出したがFCポルトに0-3で敗れた。これによってUEFAチャンピオンズリーグ決勝に出場した初のギリシャ人となった。
AEKアテネ復帰
2006年、フランスでの4年間を終え、AEKアテネに復帰した。復帰後は負傷に悩まされたが、クラブのギリシャ・スーパーリーグ2位とUEFAチャンピオンズリーグ予選3回戦進出に貢献した。2008年4月20日、リーグ最終戦で現役を引退した。
代表経歴
ギリシャ代表では18試合に出場したが、オットー・レーハーゲルが監督に就任すると冷遇されるようになった。モナコをUEFAチャンピオンズリーグ決勝に導くと、UEFA EURO 2004の代表候補に入ったが、最終的に優勝を果たした本大会メンバーからは落選した[4]。
脚注
- ^ “Stats Centre: Akis Zikos Facts”. The Guardian. 2012年6月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月25日閲覧。
- ^ “Σκοπός μου να καθιερωθώ”. tanea.gr (1998年5月15日). 2025年5月16日閲覧。
- ^ “Άκης Ζήκος”. aekpedia.com. 2025年5月16日閲覧。
- ^ “Papadopoulos in Greek squad”. BBC (2004年5月23日). 2014年6月19日閲覧。
外部リンク
- アキス・ジコスのページへのリンク