Memories Of Blue 背景

Memories Of Blue

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/21 01:56 UTC 版)

背景

前作『Higher Self』(1991年)リリース後、氷室は「OVER SOUL MATRIX TOUR 1991」と題したコンサートツアーを同年5月9日群馬音楽センターからツアーファイナルとなった有明コロシアムでの4日間連続公演まで、39都市全45公演を実施した[1][2]11月27日には同ツアーより8月22日8月23日の2日間に亘って開催された横浜アリーナ公演の模様が収録されたライブ・ビデオ『OVER SOUL MATRIX』をリリース[2]

1992年2月26日にはシングル「Urban Dance」をリリース、同作は日本テレビ系土曜グランド劇場…ひとりでいいの』の主題歌として使用され、氷室としては2度目のテレビドラマ主題歌となった。4月25日には初のリミックス・アルバムmasterpiece #12』がリリースされ、同作にはブルース・スウェーデン英語版やブルース・ランプコフ、ニール・ドーフスマンの世界的に著名な3名のエンジニアによってリミックスされた曲が収録された[3]

11月7日には先行シングルとして「Good Luck My Love」をリリース、1か月後の12月7日には「KISS ME」がリリースされ、同作はオリコンチャートにて最高位1位を獲得、売上枚数は123.1万枚と自身初のミリオンセラーを獲得した[3]

録音

本作のレコーディングは渋谷区のパラダイススタジオ、赤坂のキュー・テックスタジオ、目黒区のベイブリッジスタジオ、祐天寺のスタジオサムウェア、中野区のサウンドスカイスタジオ、ナッズスタジオと多岐に亘って行われた。

ミキシング・エンジニアとして『masterpiece #12』に引き続きニール・ドーフスマンが参加しており、氷室本人の活動を前期、中期、後期と3つに分けた場合に中期の活動の入り口を作ってくれた人物であり、ドーフスマンとの出会いは大きなターニング・ポイントとなったと氷室は述べている[4]。またドーフスマンとの出会いが後にアメリカ合衆国に居住する事に繋がったとも述べている[4]

音楽性

氷室は当時の状況が楽曲の完成度よりもメディアによって作り上げられたパブリックイメージが先行した事もあり、「このままでいいのかな?」と自問自答していた[5]。そのため「Urban Dance」に関しては前作に収録された「CRIME OF LOVE」よりもマニアックであり、さらに「日本において、これ程どう捉えていいかのかわからないような曲も珍しいんじゃないか」という思いで制作され、「ここまでやったらさすがに売れねぇだろう」とセールスを無視したテストケースとしてリリースしたと述べている[5]。また、氷室は同作を「独創的でアーティスティックな1曲」と述べている[5]

「Good Luck My Love」に関しては「ビートをはずした時にどれだけメロディが残るか」という狙いで制作された曲であり、また「KISS ME」は万人に受けやすい方程式を全て含んでいる曲と述べ、ヒット曲となる確信があったと述べている[5]。「KISS ME」は制作中は「KILL ME」というタイトルであったが、ディレクターの子安次郎がタイトルに疑問を感じていた所、当時マネージャーであった土屋浩が氷室に提言した事で「KISS ME」へと変更になった[6]

表題曲の「Memories Of Blue」は、青春の記憶という意味もあり氷室が暴走族だった頃のエピソードが歌詞として使用され、また「GET READY "TONIGHT" TEDDY BOY」はBOØWYの曲「“16”」の原題「TEDDY BOY MEMORIES」と関連している[7]。「WILL」に関して氷室は、「過激な言い方をすると、この曲で終わるためのアルバムだった」とリリース当時に述べている[7]

本作は自身が追求する音楽が一般に対する説得力を持った形で着地できた作品であり、「限りなくバランスが上手くとれている作品」と氷室は述べている[4]


  1. ^ 氷室京介 -OVER SOUL MATRIX TOUR1991”. LiveFans. SKIYAKI APPS. 2021年1月4日閲覧。
  2. ^ a b ぴあMOOK 2013, p. 101- 松田義人 (deco) 「"Tabloid" Himuro Historic Clips 1988-2013」より
  3. ^ a b ぴあMOOK 2013, p. 102- 松田義人 (deco) 「"Tabloid" Himuro Historic Clips 1988-2013」より
  4. ^ a b c d e f g ぴあMOOK 2013, p. 21- ふくりゅう「LONG INTERVIEW 最新40,000字インタビュー 【第一章】1988~1994 ソロデビュー、アイデンティティの確立へ」より
  5. ^ a b c d ぴあMOOK 2013, p. 19- ふくりゅう「LONG INTERVIEW 最新40,000字インタビュー 【第一章】1988~1994 ソロデビュー、アイデンティティの確立へ」より
  6. ^ 田家秀樹 (2020年12月1日). “対BOØWYから対自分へ 1990年代前半の氷室京介を語る”. ローリング・ストーン ジャパン. CCCミュージックラボ. p. 6. 2021年1月5日閲覧。
  7. ^ a b 田家秀樹 (2020年12月1日). “対BOØWYから対自分へ 1990年代前半の氷室京介を語る”. ローリング・ストーン ジャパン. CCCミュージックラボ. p. 7. 2021年1月5日閲覧。
  8. ^ “氷室京介15周年に復活シングル!さらに8タイトル紙ジャケ再発!”. HMV&BOOKS Online. (2003年5月13日). https://www.hmv.co.jp/news/article/305120048/ 2021年3月7日閲覧。 
  9. ^ “今年60歳の氷室京介サブスク解禁、アルバムリリースに向けて楽曲制作”. 音楽ナタリー. (2020年7月21日). https://natalie.mu/music/news/388565 2021年3月7日閲覧。 
  10. ^ a b c d ぴあMOOK 2013, p. 103- 松田義人 (deco) 「"Tabloid" Himuro Historic Clips 1988-2013」より
  11. ^ a b 氷室京介 -TOUR 1993 "L'EGOISTE"”. LiveFans. SKIYAKI APPS. 2021年1月5日閲覧。
  12. ^ a b 氷室京介 / メモリーズ・オブ・ブルー [廃盤]”. CDジャーナル. 音楽出版. 2021年1月5日閲覧。
  13. ^ a b 氷室京介 / メモリーズ・オブ・ブルー [紙ジャケット仕様] [CCCD] [限定][廃盤]”. CDジャーナル. 音楽出版. 2021年1月5日閲覧。






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