CAサン・ロレンソ スタジアム

CAサン・ロレンソ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/29 03:58 UTC 版)

スタジアム

旧スタジアム

最初のスタジアムガソメトロ(Gasómetro、ガスタンクの意)は、1916年にボエド地区に建設された。このスタジアムは7万5千人以上収容し、アルゼンチン代表の試合やコンサートなど各種イベントにも使用されていたが、1979年経営難にあったクラブはついに敷地を手放さざるを得なくなった。スタジアムは1982年に取り壊され、現在はフランス系スーパーマーケットのカルフールが建っている。店舗名は「カルフール・サン・ロレンソ」である。

最初の試合は1916年5月7日リーグでのエストゥディアンテス戦でホームのサン・ロレンソが2-1で勝利。最後の試合は1979年12月2日同じくリーグでのボカ・ジュニアーズ戦でスコアレスドローであった。

新スタジアム

ペドロ・ビデガイン(ヌエボ・ガソメトロ)

ガソメトロを失ってから14年以上もクラブ所有のスタジアムがない状況が続き、他クラブのスタジアムを借りて試合を行っていたが、1993年に近郊のバホ・フロレス地区に5代目会長の名を冠したエスタディオ・ペドロ・ビデガイン、通称ヌエボ・ガソメトロ(Nuevo Gasómetro、新ガスタンクの意)を新設した。これ以後、かつてのガソメトロはビエホ・ガソメトロ(Viejo Gasómetro、旧ガスタンクの意)と呼ばれることとなる。

ヌエボ・ガソメトロは約4万3千人収容とビエホ・ガソメトロより小さい。またブエノスアイレス有数のスラム街に面していることからサポーターの評判は悪い。何よりボエド地区が地元であるという意識が強いため、新スタジアムは旧スタジアムがあった場所から徒歩で20分ほどの距離にあるものの、「ボエドに戻ろう」という運動が続けられている。

こけら落としは1993年12月16日、チリからウニベルシダ・カトリカを迎えて行われた親善試合で、サン・ロレンソが2-1で勝利している。




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  1. ^ ボカ・ジュニアーズのホーム試合。サン・ロレンソ1点リードで迎えたハーフタイム中にスタジアム内で両チームのサポーターが衝突、ボカのサポーター1名が死亡する惨事となった。試合はその時点で打ち切られ、両チーム0-1で敗戦という処分が下された。
  2. ^ サン・ロレンソのホーム試合。0-0で迎えた前半22分にスタジアム場外で両チームのサポーターが衝突、ウラカンのサポーター1名が死亡する惨事となった。試合はその時点で打ち切られ、両チーム0-1で敗戦という処分が下された。
  3. ^ サン・ロレンソのホーム試合。引き分け以上でリーベルのタイトル獲得が決まる状況で、本拠地でのライバル優勝を阻止したいサン・ロレンソのサポーターが試合中にゴール裏のフェンスを破壊、一時中断される事態となった。試合は継続され2-2で終了したが、勝ち点3剥奪という処分が下された。
  4. ^ 新ローマ法王はサン・ロレンソのソシオゲキサカ 2013年3月14日 2013年3月24日閲覧)



CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロ

(CAサン・ロレンソ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/16 14:45 UTC 版)

スタジアム

旧スタジアム

最初のスタジアムガソメトロ(Gasómetro、ガスタンクの意)は、1916年にボエド地区に建設された。このスタジアムは7万5千人以上収容し、アルゼンチン代表の試合やコンサートなど各種イベントにも使用されていたが、1979年経営難にあったクラブはついに敷地を手放さざるを得なくなった。スタジアムは1982年に取り壊され、現在はフランス系スーパーマーケットのカルフールが建っている。店舗名は「カルフール・サン・ロレンソ」である。

最初の試合は1916年5月7日リーグでのエストゥディアンテス戦でホームのサン・ロレンソが2-1で勝利。最後の試合は1979年12月2日同じくリーグでのボカ・ジュニアーズ戦でスコアレスドローであった。

新スタジアム

ペドロ・ビデガイン(ヌエボ・ガソメトロ)

ガソメトロを失ってから14年以上もクラブ所有のスタジアムがない状況が続き、他クラブのスタジアムを借りて試合を行っていたが、1993年に近郊のバホ・フロレス地区に5代目会長の名を冠したエスタディオ・ペドロ・ビデガイン、通称ヌエボ・ガソメトロ(Nuevo Gasómetro、新ガスタンクの意)を新設した。これ以後、かつてのガソメトロはビエホ・ガソメトロ(Viejo Gasómetro、旧ガスタンクの意)と呼ばれることとなる。

ヌエボ・ガソメトロは約4万3千人収容とビエホ・ガソメトロより小さい。またブエノスアイレス有数のスラム街に面していることからサポーターの評判は悪い。何よりボエド地区が地元であるという意識が強いため、新スタジアムは旧スタジアムがあった場所から徒歩で20分ほどの距離にあるものの、「ボエドに戻ろう」という運動が続けられている。

こけら落としは1993年12月16日、チリからウニベルシダ・カトリカを迎えて行われた親善試合で、サン・ロレンソが2-1で勝利している。

2019年、4万2千人収容の新しいスタジアムの建設を発表。7月1日に工事が始まり、新スタジアムは「パパ・フランシスコ」の名前が付けられる[3]


注釈

  1. ^ ボカ・ジュニアーズのホーム試合。サン・ロレンソ1点リードで迎えたハーフタイム中にスタジアム内で両チームのサポーターが衝突、ボカのサポーター1名が死亡する惨事となった。試合はその時点で打ち切られ、両チーム0-1で敗戦という処分が下された。
  2. ^ サン・ロレンソのホーム試合。0-0で迎えた前半22分にスタジアム場外で両チームのサポーターが衝突、ウラカンのサポーター1名が死亡する惨事となった。試合はその時点で打ち切られ、両チーム0-1で敗戦という処分が下された。
  3. ^ サン・ロレンソのホーム試合。引き分け以上でリーベルのタイトル獲得が決まる状況で、本拠地でのライバル優勝を阻止したいサン・ロレンソのサポーターが試合中にゴール裏のフェンスを破壊、一時中断される事態となった。試合は継続され2-2で終了したが、勝ち点3剥奪という処分が下された。

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