鷲は舞い降りた 余談

鷲は舞い降りた

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/09 00:25 UTC 版)

余談

原題の“The Eagle has landed”1969年アポロ11号が月面に着陸した際に地球への連絡に使われた言葉でもある(着陸船の名前がEagleだった)。英語圏では月面着陸を象徴する言葉としてよく知られており、関連の著作や映像作品で題名に用いられている(オンラインショップなどで本項の小説・映画と混同されて誤った商品情報が記載されている場合がある)。

物語の主要登場人物の一人であるリーアム・デヴリンはフランク・ライアン英語版がモデルになっているのではないかという指摘もある[要出典]。フランク・ライアンは1922年にユニバーシティ・カレッジ・ダブリンの学生からIRAに転身した人物である。アイルランド内戦では反条約派に加わって戦ったがアイルランド自由国軍(条約推進派)に捕らえられ、強制収容所に送られた。1923年に釈放されると一旦大学に戻って学業を終え、1925年からIRAの運動家として活動を開始する。1933年に非常に共産主義色の強いセクトを創設してIRA主流派と対立し、IRAと袂を分かつ。スペイン内戦が勃発するとライアンは反フランコの立場で義勇兵を募り、なんとか80名ほどの義勇兵を集めて国際旅団に参加する(カトリックの力が強いアイルランドでは親フランコの雰囲気が強く、ライアンの活動は深刻な弾圧に遭遇した)。1938年にライアンはムッソリーニの派遣したイタリア軍に捕らえられ、ブルゴスの監獄に収容される。しかしアイルランド自由国政府の介入もあり、ライアンは監獄から「脱走」したという名目で、ナチスのAbwehr(情報機関)に身柄を引き渡される。その後ライアンは同じアイルランド人のショーン・ラッセルとともに、Abwehrによる対アイルランド工作の為の人材として利用され、1944年にドレスデンで没している。ライアンはIRAの活動家としてはかなり有名な人物であり、アイルランドの歌手クリスティ・ムーア英語版のヒット曲「Viva La Quinta Brigada」によっても広く知られている。


  1. ^ a b c d e f 菊池光「解説」『鷲は舞い降りた 完全版』ジャック・ヒギンズ(ハードカバー再版)、早川書房、1992年7月15日、359-360頁。ISBN 4-15-207754-9 
  2. ^ a b 菊池光「訳者あとがき」『鷲は舞い降りた』ジャック・ヒギンズ(文庫版第25刷)、早川書房、1981年10月31日、495-497頁。ISBN 4-15-040263-9 
  3. ^ 早川書房編集部 1992, pp. 33, 67, 380
  4. ^ a b c 早川書房編集部 1992, pp. 32–33
  5. ^ a b c 早川書房編集部 1992, pp. 379–389
  6. ^ a b c 早川書房編集部 1992, p. 168
  7. ^ 早川書房編集部 1992, p. 160
  8. ^ a b 早川書房編集部 1992, p. 176-177
  9. ^ ジャック・ヒギンズ 著、菊池光 訳『鷲は舞い降りた 完全版』(ハードカバー再版)早川書房、1992年7月15日、71頁。ISBN 4-15-207754-9 
  10. ^ NHK オーディオドラマ過去作品アーカイブ / 青春アドベンチャー「鷲は舞い降りた」(2020年1月20日 - 31日放送)”. 日本放送協会. 2022年9月5日閲覧。






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