賢者ナータン
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背景
1774年、ヴォルフェンビュッテルの図書館長を務めていたレッシングは、啓蒙思想家ライマールスの遺稿を手に入れその一部を公刊したが、この遺稿の汎神論的思想を牧師ゲーツェが糾弾し、これによって彼とレッシングとの間で激しい論争が始まった。この論争は当局に問題視され、結果レッシングは論争の継続を禁止されてしまう。しかしレッシングは論争文に代えて演劇の形で自身の宗教的姿勢を表らかにすることを思いつく。こうして書かれたのが『賢者ナータン』であった。
劇のハイライトとして知られている「三つの指輪」の寓話は、中世の複数の物語に由来するものである。レッシングはボッカチオの『デカメロン』第一日第三話でこれを知り、若干の変更のうえでこの戯曲に組み入れている。
主要人物であるナータンの人物像は、レッシングの終生の友人であった啓蒙思想家モーゼス・メンデルスゾーンがそのモデルである。ナータンとザラディーンと同じように、レッシングとメンデルスゾーンもチェスをしながら歓談を行っていた[1]。
日本語訳
参考文献
- 柴田翔 編 『はじめて学ぶドイツ文学史』 ミネルヴァ書房、2003年、96-99頁
- 保坂一夫 編 『ドイツ文学 名作と主人公』 自由国民社、2009年、53-55頁
関連文献
- ミリヤム・プレスラー『賢者ナータンと子どもたち』 森川弘子訳、岩波書店、2011年。
- ユダヤ人の児童文学作家プレスラー(1940-2019)が、少年少女向けに小説で翻案。
- ^ Daniel Dahlstrom, Moses Mendelssohn, Stanford Encyclopedia of Philosophy, 3 December 2002. Accessed online 26 October 2006.
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