西阿知町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 08:00 UTC 版)
にしあちちょう 西阿知町 | |
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廃止日 | 1953年1月1日 |
廃止理由 |
編入合併 西阿知町→倉敷市(初代) |
現在の自治体 | 倉敷市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 岡山県 |
郡 | 浅口郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 5,136 km2. |
総人口 |
5,142人 (倉敷市・市の沿革、1953年) |
隣接自治体 | 倉敷市、浅口郡船穂町・連島町 |
西阿知町役場 | |
所在地 | 岡山県浅口郡西阿知町 |
座標 | 北緯34度35分13.8秒 東経133度43分35.9秒 / 北緯34.587167度 東経133.726639度 |
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概要
古代には吉備の穴海と呼ばれる海域で、高梁川の当時の河口沖であった。その後、高梁川の運ぶ土砂の堆積作用により、干潮時は干潟が広がるようになり、阿智潟(あちのかた)と呼ばれるようになった[1]。
1926年に高梁川の改修工事が完了するまでは、東西の高梁川に挟まれた地域内で、その中の西側に位置していた[1]。
明治35年9月30日に西阿知村・甲内村が合併して河内村となり、現在の範囲が確定。大正11年の町制施行を経て、同15年1月1日に西阿知町に改称した。これは、河内の地名の由来が東西の高梁川の間に位置することであったが、前述の高梁川改修工事のより東高梁川が廃川となり「河内」の地形でなくなったためである[2]。
歴史
- 1889年(明治22年)6月1日 - 浅口郡西阿知村・西阿知新田村が合併して西阿知村、同郡片島村・西原村が合併して甲内村を新設。
- 1891年(明治24年)7月 - 山陽鉄道が開通。
- 1902年(明治35年)9月30日 - 浅口郡西阿知村・甲内村が合併して河内村を新設。
- 1920年(大正9年)5月25日 - 西阿知駅が開業。
- 1922年(大正11年)1月1日 - 町制施行により河内町へ改称。
- 1926年(大正15年)1月1日 - 高梁川の改修工事竣工により、町名を西阿知町へ改称。
- 1953年(昭和28年)1月1日 - 倉敷市(初代)へ編入合併する。
- 1967年(昭和42年)2月1日 - 倉敷市(初代)・児島市・玉島市が合併し、倉敷市(2代)を新設。
- 1985年(昭和60年)11月13日 - 国道2号玉島バイパスの高架化、および高梁川大橋が暫定2車線で完成する。
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