裏町古墳 外部構造

裏町古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 15:47 UTC 版)

外部構造

裏町古墳は西向きの前方後円墳で、後円部の径は27メートルあった。前方部は13メートルを残してその先が壊されていたため、正確なところは不明である。合わせて全長40メートル以上となる。前方部の幅は、後円部との接続部分で7メートル、残存箇所の最大部分で14メートルあった。基底部からの高さは後円部が4.5メートル、前方部が0.8メートルであったが、本来の後円部はこれより高かったと思われる[4]。以上は発掘調査報告書によるもので、後に刊行された『仙台市史』は、全長50メートル、前方部の長さ15メートル余り、後円部の高さ約6メートル、前方部の高さ約3メートルとしている[5]

墳丘には、円筒埴輪がめぐらされた。原位置がわかるものは少なかったが、後円部では三重の円として、前方部では縁辺に配置され、前方部と後円部の接点に他と異なる小型の埴輪が置かれたと推定される。形象埴輪はなかった[6]

墳丘の裾には葺石が帯状に付けられた。その幅は後円部で約1.5から約1.7メートル、高さにして約60から80センチ。葺石の幅は、直径20から30センチの礫を、後円部では8から9個積み上げて作られた[7]

裾から3、4メートルほど離れた外側に、溝が掘られていた。深さは25センチメートルから80センチメートルと浅い。底にある固い砂礫層を掘り抜けなかったためと推定される。外側の縁を検出できなかったため、幅は不明である[8]

内部構造

後円部のほぼ中央直下に、東西約5メートル、南北約2.5メートルの長方形の竪穴が掘り込まれ、その床に河原石で石室が築かれた。発掘時の墳頂から床までは約1メートルあった[9]

石室は盗掘によって一部破壊されていたが、東西3.6メートル、南北0.8メートルの長方形であった。床と壁を15センチから50センチの扁平な河原石で積み上げ、床には約5センチの礫を敷き詰めた。石室内部に落ちこんだ石の中には一辺約30センチ、厚さ約5センチメートルの板状の石が混じっており、蓋石が盗掘で割れたものと推測される[10]

石室は盗掘を受けており、棺は確認できなかったが、副葬品として見つかった乳文鏡の鏡面に木質が薄く付着していたという。副葬品には他に刀子1、鉄鏃1、土師器の壺が1つ見つかった[11]

出土遺物

須恵器器台

石室から得られた青銅鏡の大きさは、直径9センチ、厚さは2.5ミリから1.5ミリの小型のものである。鈕の孔にひもが通されていた。刀子は刃の長さが8.7センチ、茎の長さが3.8センチで、刃に櫛の跡が錆び付いて残っていた。鏃は細長く刀のような先端で、10.6センチ以上あった[12]。鏡の文様から、発掘時は「珠文鏡」とされたが、後に「乳文鏡」と改められた[13]。2ヶ所の不定形の盛り上がりがあり、亀裂を鋳掛によって修理したところとされる[14]

須恵器の破片から11個、土師器の破片から6個が原型を推測できる土器として見つかったが、うち土師器の内黒坏4個は平安時代のものである[15]。多くは盗掘跡から見つかっており、一つは盗掘時に墓から持ち出されたものと確認できる。発掘報告書によれば、土器類は石室の外に置かれのではないかという[16]。須恵器の中には、近くの金沢窯跡で似たものがあった[5]

埴輪は、全体を組み立てられるものが少なかったが、筒型円筒埴輪と朝顔形埴輪の破片が多数見つかった。[17]。近くにある富沢窯跡から供給された[15][5]

他に、鎌倉時代のものと思われる片口土器1と椀形土器1、縄文土器の破片が見つかった[18]


  1. ^ 『仙台市富沢裏町古墳発掘調査報告書』30頁には5世紀後半から500年前後、藤沢敦「裏町古墳」252頁と2008年現在の仙台市のホームページ「仙台市の遺跡」では5世紀中頃。
  2. ^ 『仙台市富沢裏町古墳発掘調査報告書』17頁。
  3. ^ 『仙台市富沢裏町古墳発掘調査報告書』6頁。
  4. ^ 『仙台市富沢裏町古墳発掘調査報告書』11頁。
  5. ^ a b c 藤沢敦「裏町古墳」252頁。
  6. ^ 『仙台市富沢裏町古墳発掘調査報告書』12-13頁。
  7. ^ 『仙台市富沢裏町古墳発掘調査報告書』13-14頁。
  8. ^ 『仙台市富沢裏町古墳発掘調査報告書』15-16頁。
  9. ^ 『仙台市富沢裏町古墳発掘調査報告書』18頁。
  10. ^ 『仙台市富沢裏町古墳発掘調査報告書』19頁。
  11. ^ 『仙台市富沢裏町古墳発掘調査報告書』29頁。
  12. ^ 『仙台市富沢裏町古墳発掘調査報告書』27-28頁。
  13. ^ 藤澤敦「裏町古墳出土の銅鏡について」23頁。
  14. ^ 藤澤敦「裏町古墳出土の銅鏡について」26頁。
  15. ^ a b 『仙台市富沢裏町古墳発掘調査報告書』33頁。
  16. ^ 『仙台市富沢裏町古墳発掘調査報告書』25-27頁、29頁。
  17. ^ 『仙台市富沢裏町古墳発掘調査報告書』21-24頁。
  18. ^ 『仙台市富沢裏町古墳発掘調査報告書』28-29頁。
  19. ^ 伊東信雄「仙台市内の古墳」28頁。『仙台市富沢裏町古墳発掘調査報告書』1頁。
  20. ^ 『仙台市富沢裏町古墳発掘調査報告書』1頁、7-10頁。


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