筒井町出来町天王祭
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徳川園山車揃え
2005年11月に徳川園の整備が完了し再開園したことにより、翌2006年(平成18年)の天王祭から開催されている。
筒井町・出来町の山車5両が徳川園内広場(徳川美術館・蓬左文庫・徳川園日本庭園部分に囲まれた入場無料地域)に揃い、それぞれのからくりの舞などを披露する[注 9]。
5両の山車は1両ずつ徳川美術館正面入り口前に進んで披露を行う形を取るため、披露が終了した山車は次の山車にその位置を譲ることから、山車を操る主役の楫方(かじかた)の腕の見せどころともなる。楫方が山車の前輪を浮かせて方向を180度回転させる「どんでん」などが決まると、見物の観客からからくり披露の際にも勝る拍手歓声が上がる。
ギャラリー
脚注
注釈
- ^ 当日の天候などの理由により5台全てが揃わなかった年もあった。
- ^ a b 『名古屋祭』p116に「神功皇后車」として記述がある。
- ^ 『名古屋祭』p57に記述されている湯取神子車が現在の湯取車である。
- ^ 明倫小学校の校舎全面改築に併せて描かれたものであり、『校舎竣工・開校120周年記念学校要覧 明倫』にその旨が記されている。2012年6月現在は通常の壁面になっている。
- ^ この時期の征夷大将軍は徳川家重であり、1751年(寛延4年)には先代将軍徳川吉宗が死去している。またこの時期は尾張藩主徳川宗春の隠居謹慎期間でもある。
- ^ 『名古屋祭』祭車年代表(pp177 - 182)のp181には「菊慈童車」の名で、宝暦11年に作られた旧住吉町の若宮神社の祭車が掲載されている。なお同表中の改廃有無の項は「廃」となっているが、名古屋市サイトに記述された条件に該当する山車は他に『名古屋祭』には記述されていない。
- ^ 二番永田組は鹿子神車での活動だけでなく、名古屋地区を始めとする各地の祭りに支援に入ってもいる。2011年5月31日にはメーテレ(テレビ朝日系列)「UP!」にて二番永田組の特集「伝統の祭りを支える男たち〜二番永田組〜」が放送された。
- ^ a b 出来町の3両の山車の本拠地はいずれも出来町通に沿っているが、中之切・東之切は東区の中でも中央本線より東側に位置する地域であり、太平洋戦争当時航空機製作などを行っていた三菱グループの工場群があった矢田・大幸地区に地理的に近いことから、空襲の影響をより受けやすかった。西之切は中央本線より西側であり、出来町地区の中でも少し距離を置いた位置にある。対照的に筒井町地区は名古屋市東区の中でも空襲の被害が比較的少なかった地区である。それぞれの位置関係については、名古屋市公式サイト内『東区山車マップ』を参照。
- ^ 5両の山車が揃うのは、他に毎年10月に行われる名古屋まつりや東区区民まつりの山車揃えがある。
出典
- ^ “伝統と歴史のある東区の山車”. 名古屋市東区役所 2012年6月3日閲覧。
- ^ a b 『なごやの町名』(名古屋市計画局 1992年3月31日発行)。
- ^ a b c d e f “名古屋市:市指定文化財”. 教育委員会事務局生涯学習部文化財保護室. (2012年10月19日) 2012年11月22日閲覧。
- ^ 『名古屋祭』pp203 - 204.
- ^ a b “名古屋の町(大字)・丁目別人口(平成22年国勢調査)統計表(区別)(2)東区”. 名古屋市総務局企画部統計課. (2011年4月22日) 2012年6月5日閲覧。
- ^ 『校舎竣工・開校120周年記念学校要覧 明倫』(1993年5月刊行)名古屋市立明倫小学校。
- ^ 『名古屋祭』pp196 - 198.
- ^ “UP!|特集一覧 - 伝統の祭りを支える男たち〜二番永田組〜”. 名古屋テレビ放送 2016年6月28日閲覧。
- ^ 『名古屋祭』p152.
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