福昌寺 (世田谷区)
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境内と文化財
歴史の節で既に述べたとおり、福昌寺にあった建物や梵鐘・百体観世音など多くの文化財は1975年(昭和50年)の火災で焼失している[5][17]。旧本堂にあった龍の彫刻は古い時期に作られたものであったが、やはり火事で焼失した[1][8]。
福昌寺の梵鐘は、1759年(宝暦9年)に西村和泉守という人物が作り、檀家75軒の主婦が寄贈したものであった[1][8]。形状は「朝鮮型」といわれ、音色の良い梵鐘であった[1][5][8]。第2次世界大戦時の金属供出によって手放すことになったが、その音色の良さに当局が使い続けていたために残り、終戦後に福昌寺に戻ってきた[1][5][8]。この梵鐘も、1975年(昭和50年)の火災で焼失している[5][8]。
旧本堂の横には、閻魔堂が存在していた[1]。かつて旧本堂を改築する際に4尺ほどの棟札が発見された[1]。棟札には1755年(宝暦5年)11月建立の旨が記されていて、棟梁は深沢柏木長右衛門、経堂河野七右衛門とあった[1]。旧庫裏は1765年(明和2年)秋の大風で大破し、1773年(安永2年)に松原円吉という大工が改築したと伝わる[1]。
福昌寺に残る仏像のうち、薬師如来坐像(寄木造、江戸時代)、地蔵菩薩半跏像(寄木造、江戸時代)、伝文殊菩薩坐像(寄木造、江戸時代)は、1978年(昭和53年)4月1日から1981年(昭和56年)3月31日までの世田谷区社寺調査及びその後3か年にわたって実施された追加調査の対象となった[18][19]。そのうち地蔵菩薩半跏像は、1975年(昭和50年)に起きた福昌寺の火災の後、1976年(昭和51年)に仏具屋から寄進されたものである[18]。
その他の文化財には、1660年(万治3年)に建立された念仏供養塔がある[4]。この供養塔は多くの村人の喜捨によって作られたもので、総高は118センチメートルを測る[4]。墓地入口にはこの寺の開基であり、祖先でもある松原家を伝える碑がある[4]。碑の正面及び左右の側面には、松原家6人の戒名と没年月日などが記されている[4]。
福昌寺の隣には、かつて付属の幼稚園があった[5][20]。後に幼稚園の建物は改築されてホールとなり、葬祭式場として使用されている[20]。
注釈
- ^ a b 『史料に見る江戸時代の世田谷』76-77頁による。資料によって、開山の名は「玄浦」、「玄補」、「玄甫」などとも表記されている。
- ^ この伊勢宮は「経堂天祖神社」として世田谷区経堂4丁目33番地2号に現存する。
- ^ 日本では1872年12月31日(明治5年12月2日)まで太陰太陽暦(旧暦)を採用していたため、西暦とはずれが生じている。明治4年はグレゴリオ暦の場合、旧暦明治4年1月1日から11月20日まで - 1871年(2月19日から12月31日まで)、旧暦明治4年11月21日から12月30日まで - 1872年(1月1日から2月8日まで)となる。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 『せたがや社寺と史跡その一』23頁。
- ^ a b c d e f g 『史料に見る江戸時代の世田谷』76-77頁。
- ^ a b c d e f g 『世田谷区寺院台帳』96-99頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『ふるさと世田谷を語る 経堂・宮坂・梅丘・豪徳寺』44-45頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『改訂・せたがやの散歩道』102-103頁。
- ^ a b c d 『ふるさと世田谷を語る 経堂・宮坂・梅丘・豪徳寺』20-22頁。
- ^ a b c d e f g 経堂・宮坂・桜丘 平成24年2月22日更新、世田谷区役所ウェブサイト、2014年9月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 竹内、114-116頁。
- ^ a b 『ふるさと世田谷を語る 経堂・宮坂・梅丘・豪徳寺』15-17頁。
- ^ 『ふるさと世田谷を語る 経堂・宮坂・梅丘・豪徳寺』122頁。
- ^ a b c 経堂山 福昌寺 中山石渠ウェブサイト、2014年9月10日閲覧。
- ^ a b 『史料に見る江戸時代の世田谷』77-78頁。
- ^ 新編武蔵風土記稿経堂在家村福昌寺.
- ^ 経堂天祖神社|世田谷区経堂の神社 猫の足あと、2014年9月13日閲覧。
- ^ 『ふるさと世田谷を語る 経堂・宮坂・梅丘・豪徳寺』124頁。
- ^ a b c d e f 『ふるさと世田谷を語る 経堂・宮坂・梅丘・豪徳寺』25-26頁。
- ^ a b c 農大通り商店街の歴史 経堂農大通り商店街公式ホームページ、2014年9月13日閲覧。
- ^ a b 『世田谷区社寺史料 第一集 彫刻編』79-82頁。
- ^ 『世田谷区社寺史料 第三集 絵画・彫刻II・目録編』例言。
- ^ a b 福昌寺 観世音ホール 株式会社清水商店ウェブサイト、2014年9月10日閲覧。
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