狭間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/09 05:36 UTC 版)
狭間の数
姫路城は、かつて鉄砲狭間が2,500箇所から4,000箇所以上あったとされ[1]、戦時下では最大で4千人もの鉄砲隊が活動できるよう想定して作られていたことがわかる。いわば狭間の数は、籠城戦において、どれだけの弓兵・砲兵の数が活動できるかも示している。鉄砲戦を想定して築かれた松本城でも鉄砲狭間の数は115であり[2]、松本城の約35倍の数にもなる姫路城の狭間の多さがわかる。これは松本藩が5万石以上の中藩で、姫路藩が50万石を超える大藩、すなわち財力・兵数を養える規模にも影響されるといえる(中藩でも狭間数が100を超える城の例)。
高知城では、本丸に備えられた狭間だけで61あり、本丸を囲まれた際も、61ヵ所から攻撃できる設計になっている[3]。
ヨーロッパ・中東地域の狭間
ヨーロッパなどにも、矢や銃を発射するための狭間があり、アロースリット(英: arrowslit、矢狭間)やループホール (loophole) という。フランス語ではメルトリエール(meurtrière、殺人孔)という。
似たようなものにクレノー (créneau) がある。通常、メルロン(merlon、小壁体の間)でない開口部をクレノーといい、クレノーもまた狭間を意味するフランス語である。城壁に各種のループホールが切られた。[4]
アロースリットは、紀元前212年から214年に、シラクサ包囲に対抗するアルキメデスによって発明されたものの一つである。12世紀後半に見直され、13世紀に一般化した[5]。
縦方向に長く切ったものや短い縦長方形の狭間を始めとして、十字に切ったものや横に長く切ったものもある。縦長の狭間は矢狭間で、日本式の狭間と機能や用途は同じである。横長の狭間は弩用の狭間である。敵からの攻撃を防御しながら、長弓兵と弩弓兵が射角を得るためフィッシュテイルという三角形の空間を設けている。水平の隙間は、射撃手の視界のためのものである。ループホール、クレノーにはアンブラジュールと呼ばれる狭間の蓋が取り付けられ、日本城郭の袴形の石落しのように上部を覆うだけのものから回転式で開閉するものもある。[4]
海外の狭間
コーフ城のアロースリット内側
- ^ 姫路観光ナビ「姫路城の狭間と石落とし」
- ^ NHKBSプレミアム 『新日本風土記 「城 戦の跡 夢の跡」』
- ^ BS朝日1 『坂東三津五郎がいく 日本の城ミステリー紀行 「土佐の誇り・高知城」』
- ^ a b J・Eカウフマン、H・Wカウフマン共著 中嶋智章訳『中世ヨーロッパの城塞』マール社 2012年
- ^ Jones & Renn 1982, p. 445.
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