瀬下秀夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 05:33 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動経歴
山形県出身[2]。1880年、私立米沢中学校(現・山形県立米沢興譲館高等学校)卒[2]。武蔵野鉄道(株)専務取締役、皇国興業(株)取締役となるほか、牧畜業を営む[2]。
1903年の第8回衆議院議員総選挙において米沢市選挙区から立憲政友会公認で立候補して当選した[3]。つづく1904年の第9回衆議院議員総選挙でも再選した[4]。衆議院議員を2期務め、1908年の第10回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1925年死去。
参考文献
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 1 瀬下秀夫とは
- 2 瀬下秀夫の概要
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