江田照男
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 09:52 UTC 版)
来歴
福島県石川郡浅川町出身[2]。中学3年の時に学校の廊下に競馬学校のポスターが貼られているのを見て競馬学校を受験し、合格する[3]。
1990年に美浦の田子冬樹厩舎所属騎手としてデビュー。同期の騎手は北沢伸也を除き全て現役を退いており、村山明・牧田和弥は調教師に転身となっている。
デビュー1年目の新潟記念でサファリオリーブに騎乗し重賞初勝利を記録、重賞騎乗2戦目での勝利は当時の最速記録だった。この年27勝を挙げ関東新人騎手賞を獲得。
1991年にはプレクラスニーとのコンビで同年秋の天皇賞をメジロマックイーン降着による繰り上がりでの勝利ながらGI初騎乗・初勝利を達成した。またJRA史上最年少で天皇賞制覇を成し遂げた(19歳8ヶ月)。
これまで、オープンクラスの競走で多くの穴馬券を輩出してきたことから「穴男」・「万馬券男」と呼ばれる[4]。14番人気での勝利となった1990年サファリオリーブの新潟記念をはじめ、1998年日経賞では障害帰りのテンジンショウグンを勝利に導き、当時重賞の馬連最高配当(213370円)を記録[5]。
2000年スプリンターズステークスでは16頭立て16番人気のダイタクヤマトで逃げ切り勝ちを収め9年ぶりのGI勝利をマーク。同時期の中距離路線で活躍したアメリカンボスでも2001年有馬記念にて13頭立て13番人気で2着となり、有馬記念の馬連最高配当(48650円)を記録した[6]。
この他2006年・2010年・2012年の重賞勝ちをいずれも2桁人気馬で挙げるなど人気薄馬での好走例が多く見られる[7]。穴を作る秘訣は「どの馬でももしかしたらというつもりで乗ること」とコメントを残している。
2015年ヴィクトリアマイルでは18頭立て18番人気のミナレット(単勝291.8倍)で残り50mでストレイトガールとケイアイエレガントに抜かれ3着に粘り、三連複は286万480円、三連単は2070万5810円と、いずれもGI史上最高の払戻しを記録した。
- ^ “平成28年度 騎手免許試験合格者” (PDF). 日本中央競馬会 (2016年2月11日). 2016年3月25日閲覧。
- ^ “きょう「3・11」東日本大震災から9年 福島県出身の田辺騎手、復興「まだまだな感じ」”. スポーツ報知. 2023年9月2日閲覧。
- ^ “900勝達成のベテラン騎手は2人の恩人と1人の今は亡き同期から形成されていた”. Yahoo!. 2023年9月2日閲覧。
- ^ 別冊宝島・騎手年鑑 ISBN 4-7966-9517-6
- ^ 1998年3月30日日刊スポーツ
- ^ 2001年12月24日日刊スポーツ
- ^ 2019年6月現在、JRA重賞29勝のうち9勝が2桁人気馬によるもので、そのうち3回は単勝万馬券である。
- ^ “江田照男騎手、騎乗停止”. ラジオNIKKEI. 2023年9月2日閲覧。
- ^ 『優駿』2009年5月号、168頁。
- ^ “テリオスベル”. JBISサーチ. 2022年11月30日閲覧。
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