桂潜太郎 桂潜太郎の概要

桂潜太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/21 14:42 UTC 版)

経歴

長門国豊浦郡阿川村豊北町を経て現下関市豊北町大字阿川)に生まれる[1]。細迫礼介の長男[1][2]。1884年(明治17年)5月、絶家桂庄左衛門の家を再興する[1]東京専門学校校外生となり、英法を学ぶ[3]宮内省華族局に出仕し、のち爵位局主事に就任[3]。宮内書記官を兼ねたのち、東宮主事に転じ、東伏見宮別当を兼ね、東伏見宮別当泰宮御養育掛長兼宮中顧問官に就任した[2]。墓所は多磨霊園

脚注

参考文献


  1. ^ a b c d e 人事興信所 1903, 400頁.
  2. ^ a b c d 人事興信所 1915, か78頁.
  3. ^ a b c d e 上田ほか 2001, 506頁.


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