杉浦正友 杉浦正友の概要

杉浦正友

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/02 01:22 UTC 版)

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慶長3年、伏見城の徳川家康に召し出され、関ヶ原の戦いに従軍、大坂の陣両陣に従軍した。納戸頭となり600石を賜り、さらに加増を度々受け3,400石を知行するに至る。寛永3年(1626年)8月徳川秀忠の京都上洛に供奉し、従五位下越後守に叙任された。寛永12年に留守居役となり、寛永19年2月4日に加増されて6,000石を知行した。同年3月3日勘定頭を兼帯。同年8月16日勘定頭のみとなり、慶安4年に留守居役に復帰する。明暦2年に職を辞し、万治元年に致仕し、家督は同じのちに勘定頭を務めた婿養子の杉浦正綱が継いだ。またこの時に養老料として400石を賜り、寛文2年(1662年)86歳で没した。墓所は東京都台東区西浅草の長敬寺。

関連項目

参考文献

  • 日本人名大辞典(講談社)
  • 寛政重修諸家譜



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