山田正孝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/25 06:05 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動山田 正孝 やまだ まさたか | |
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生誕 |
1908年4月11日 長崎県長崎市 |
死没 | 1995年10月16日(87歳没) |
国籍 | 日本 |
教育 | 大阪美術学校 |
著名な実績 | 洋画 |
代表作に「長崎の唐寺境内」[2]、三部作「長崎の家」「長崎の丘」「長崎の庭」など[1]。
略歴
1933年(昭和8年)に大阪美術学校を卒業、同年第1回東光展に作品が入選[1]。
1937年(昭和12年)より郷里長崎県に戻り、長崎市立商業学校の教諭を務める[1]。
戦後の1950年(昭和25年)から1952年(昭和27年)にかけて3年連続で日展[注釈 1]に出品した3部作「長崎の家」「長崎の丘」「長崎の庭」が全作入選した[1]。
1966年(昭和41年)に東光会委員に推挙を受け、1969年(昭和44年)には東光会審査員を務める[1]。
1975年(昭和50年)には長崎県美術協会の副会長に推挙された[1]。
脚注
- 注釈
- 出典
参考文献
- “山田正孝 / ヤマダ マサタカ (1908〜1995年)”. 長崎県美術館. 2018年12月25日閲覧。
関連項目
- 鈴木信太郎 (洋画家) - 同じく長崎県を代表する同世代の洋画家。
- 野口弥太郎 - 東京都出身、長崎県育ちで同時代の洋画家。
- 小川緑 - 北海道出身、長崎市風景を描いた同時代の洋画家。
外部リンク
- 1 山田正孝とは
- 2 山田正孝の概要
- 山田正孝のページへのリンク