小菅神社 (飯山市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/19 15:06 UTC 版)
小菅神社 | |
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所在地 | 長野県飯山市大字瑞穂6043(里宮) |
位置 |
奥社:北緯36度53分47.6秒 東経138度26分7.4秒 / 北緯36.896556度 東経138.435389度 里宮:北緯36度53分46.2秒 東経138度25分21.3秒 / 北緯36.896167度 東経138.422583度座標: 北緯36度53分46.2秒 東経138度25分21.3秒 / 北緯36.896167度 東経138.422583度 |
主祭神 | 八所権現 |
社格等 |
旧郷社(1872年) 旧県社(1933年) |
創建 | 不詳 |
本殿の様式 | 入母屋造 |
例祭 | 7月の半ばの日曜日 |
主な神事 | 柱松柴灯神事(3年に1回) |
地図 |
諸伝承によれば、役小角が開山した修験寺院・小菅山元隆寺(こすげざん がんりゅうじ)が小菅神社の起源である。その後、幾度かの退転と再建を繰り返した後、明治時代の神仏分離により、神社とされ、今日に至っている。なお、本項目では、前近代における寺院(小菅山元隆寺)と近代以降の神社(小菅神社)とを歴史的に一体のものとして扱い、両者を総称して指す呼称として、霊場としての名でもある小菅山を用いる。
- ^ 信州大学・飯山市小菅研究グループ[2005: 73-74]。
- ^ a b こうした隆盛期の小菅山を描いた絵図として、1566年(永禄9年)の銘がある元隆寺之図が知られている。この図では、上之院19坊、中之院19坊、下之院11坊をかぞえ、これらを統括する本坊大聖院には19の末院があったとされている。だが、既述の1561年(永禄4年)の川中島の戦いの兵難とこの絵図は年代が矛盾している。また、僧坊の名や、石垣の位置など年代と符号せず、疑問とすべき点も多い。こうしたことから、この絵図は、小菅の繁栄を示すため、近世になってから遡及的に描かれたものである可能性があり[信州大学・飯山市小菅研究グループ編 2005:76-77]、この絵図の史料としての信憑性には留保が必要である。
- ^ 『信濃史料』第7巻。
- ^ 『信濃史料』第8巻。
- ^ 『信濃史料』第13巻。
- ^ 「小菅神社所蔵棟札銘写」および「小菅神社所蔵鉄製鰐口」、いずれも『信濃史料』第17巻所収。
- ^ 信州大学・飯山市小菅研究グループ[2005: 78-79]。
- ^ 文化庁監修『解説版新指定重要文化財 11 建造物I』(毎日新聞社、1981)、p.74
- ^ 飯山市文化財編纂委員会[2002: 88-133]。
- ^ 信州の文化財(公益財団法人八十二文化財団)
- 1 小菅神社 (飯山市)とは
- 2 小菅神社 (飯山市)の概要
- 3 概要
- 4 歴史
- 5 小菅神社神域内の文化財
- 6 柱松柴灯神事
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