安芸トンネル 建設

安芸トンネル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/11 09:01 UTC 版)

建設

乃美尾工区

乃美尾工区は、入口からの全長790メートルの工区である[33]。他の工区は、1970年(昭和45年)3月末には発注し順次着工していたが、乃美尾工区の範囲については地質が悪いため再調査を行っており、工法を再検討したうえで1971年(昭和46年)9月に発注された。結果的に隣接する楢原工区と同じ飛島建設が担当することになった[9]

地質は基盤の花崗岩の上に砂礫やシルト、凝灰質粘土、河床堆積物などが水平に層をなしており、土被りが浅く、上部に水田がある区間もあった。こうしたことからトンネル掘削時には湧水が多いと予想された[33]。水位を低下させ掘削中の湧水を低下させるため、深井戸(ディープウェル)を合計11本掘削し、揚水を行った。数日程度で揚水量は低下し、実際の掘削時にはほとんど湧水がなくなった[34]。一方、トンネル上部にある民家で井戸水を使用しており、その渇水が予想されたことから、あらかじめ新たな給水用の井戸を用意して配管で各民家に給水できるように対策を行っており、実際に渇水が発生した際に給水を行った。大多田地区には、地質と湧水の確認のための大多田立坑も掘削され、もし本坑の掘削が止まった場合にはこの立坑からの掘削も可能なように配慮された[35]

地下水位が高く、地盤が弱くて湧水が多いと予想されたことから、側壁導坑先進上部半断面工法(サイロット工法)が採用された[36]。これはトンネル底部の両側面にそれぞれ導坑を掘削し、トンネルの壁となる部分の覆工を打設した後、トンネル上半部を掘削して天井の覆工を打設、その後全断面へと切り広げる工法である[37]。導坑の掘削は下り列車進行方向右側の導坑から開始され、当初の予想より湧水が少なかったこともあり順調に掘削された。全体の内659.3メートルは坑口から掘削し、残りの130.7メートルは立坑から掘削した。また左側導坑は右導坑より約50メートル遅れて掘削し、途中9か所で左右連絡坑道を掘削した[38]。続いて上部半断面の掘削を行い、先に掘削完了していた楢原工区側からも178メートルを掘削した[39]

乃美尾工区は平均月進55メートルで、総工費8億2000万円であった[22]

楢原工区

楢原工区は新大阪方から2番目の工区で、全長は2,770メートルあり[22]、乃美尾工区と同じ飛島建設に発注された[21]。楢原工区では、285 km 100 m地点に全長375.4メートルの楢原斜坑を建設した[24]。斜坑は途中まで4分の1勾配で、そこから本坑まで水平になっている[40]。斜坑にはずり運搬用のベルトコンベア、人道、トロッコを使用する線路などが設置された[41]

本坑はおおむね花崗岩の地質で、普通工法で掘削された[22]。安芸トンネルの普通工法では、最初にトンネル底面に導坑を掘り、続いて上半断面を掘削して上部アーチの覆工を施工し、下部両側面を掘削して覆工を完成させるという手順である[42]。ただし楢原工区の斜坑より新大阪方では途中、きのこ型工法が試行された。きのこ型工法は、大型のトンネルジャンボーを用いて上半面のすべてと下半面中央部を一度に掘削する、断面がきのこ状になるものである。しかし新型の機械の故障が相次いだこともあって、あまり進捗の実績は上がらなかった[43]。1971年(昭和46年)8月26日に、湧水が噴出し土砂とともに流出する事故を起こした。これをきっかけにきのこ型工法に見切りをつけて、普通工法に戻されて残りの掘削が行われた[44]

楢原工区は平均月進99メートルで、総工費18億5300万円であった[22]

イラスケ工区

イラスケ工区は新大阪方からの3番目の工区で、全長は3,040メートルあり[22]、奥村組に発注された[21]。イラスケ工区においても、288 km 402 m 34地点に全長631.0メートルのイラスケ斜坑を建設した[24]。イラスケ斜坑においても、途中まで4分の1勾配で、そこから本坑まで水平になっている[45]。またベルトコンベアや人道、線路などが配置されたことも同様である[41]。なお、イラスケ斜坑の坑口では、1970年(昭和45年)5月15日に安芸トンネル起工式が行われている[46]

イラスケ工区においては当初から底設導坑を先進させる普通工法を採用して掘削した[47]。イラスケ工区は平均月進103メートルで、総工費22億4300万円であった[22]

熊野工区

熊野工区は新大阪方から4番目の工区で、全長は3,000メートルあり[22]、前田建設工業に発注された[21]。熊野工区においても、291 km 941 m 20地点に全長699.8メートルの熊野斜坑を建設した[24]。熊野斜坑もまた途中まで4分の1勾配で、そこから本坑まで水平となっており[48]、またベルトコンベアや人道、線路などが配置されたことも同様である[41]

熊野工区においても、底設導坑を先進させる普通工法を採用して掘削した[47]。1972年(昭和47年)6月29日に底設導坑掘削中に湧水量が増大して大量の土砂が流出する事故があり、ボーリングと水抜き坑によって水を抜いて突破した[49]。しかしこうした処置もありトンネル直上部において井戸の水が減少するなどの渇水被害が生じ、井戸の新設や水道の配管などにより対処を迫られた[50]。またトンネル排水はかなりの汚濁度があり、薬品を投入した汚濁処理を行った[51]。熊野工区は平均月進103メートルで、総工費24億3400万円であった[22]

海田工区

海田工区はもっとも博多方の工区で、全長は3,430メートルあり[22]、大成建設に発注された[21]

海田工区も普通工法で掘削されたが、底設導坑を約1メートル脇に寄せて掘削することで、下半面を掘削する際に片側の作業だけで済むようにして効率化を図った[52]。また、スウェーデンで開発されたコロマントカット工法が採用された。ダイナマイトを使用した発破をする際に、装薬を詰める穴の配置を発破理論に基づいて工夫したもので、従来のウェッジカット工法から途中で切り替えた。当初は作業員の不慣れもあって失敗も多かったものの、軌道に乗ると従来よりも1回の発破で掘進する長さを伸ばすことができるようになった[53]

海田工区は平均月進105メートルで、総工費23億8200万円であった[22]

完成

イラスケ工区と熊野工区の境界付近である、新大阪起点289 km 40 m地点において、1972年(昭和47年)8月9日に広島県知事や沿線の各市町村長、工事会社の社長、国鉄副総裁らが列席して貫通式が行われ、安芸トンネルの全区間が貫通した[54]。1974年(昭和49年)5月29日には、トンネル坑口の銘標除幕式が行われた[54]

安芸トンネルは、1975年(昭和50年)3月10日の山陽新幹線岡山-博多間開通に伴い供用開始された[55]。安芸トンネルの総工費は97億3200万円であった[22]


  1. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.10
  2. ^ a b 「私のトンネル路線選定秘伝」p.197
  3. ^ a b 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』縦断面図
  4. ^ 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』pp.1 - 3
  5. ^ a b 『山陽新幹線』p.41
  6. ^ 『山陽新幹線』p.44
  7. ^ a b c 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.69
  8. ^ a b c 「山陽新幹線・安芸トンネルについて」pp.12 - 13
  9. ^ a b c d e 「最盛期を迎えた安芸トンネル」p.13
  10. ^ 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』pp.84 - 86
  11. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.14
  12. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』pp.11 - 12
  13. ^ 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』p.46
  14. ^ 『山陽新幹線』p.59
  15. ^ 『山陽新幹線』pp.64 - 65
  16. ^ 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』pp.46 - 47
  17. ^ 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』p.48
  18. ^ 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』p.367
  19. ^ 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』p.368
  20. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』線路平面図
  21. ^ a b c d e f g h i j 「山陽新幹線276kmのトンネル工事」p.97
  22. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.566
  23. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.604
  24. ^ a b c d e f g 「最盛期を迎えた安芸トンネル」p.14
  25. ^ a b 「山陽新幹線、岡山博多間の路線地質概要」p.58
  26. ^ 「山陽新幹線・広島県内 長大トンネル工事とその工法」p.29
  27. ^ 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』p.15
  28. ^ 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』pp.17 - 19
  29. ^ 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』p.16
  30. ^ 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』p.22
  31. ^ 『新幹線ネットワークはこうつくられた』pp.53 - 54
  32. ^ 『新幹線ネットワークはこうつくられた』p.64
  33. ^ a b 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.602
  34. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』pp.603 - 604
  35. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』pp.604 - 605
  36. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.603
  37. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.629
  38. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.630
  39. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』pp.630 - 631
  40. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.684
  41. ^ a b c 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』pp.681 - 683
  42. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.621
  43. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』pp.605 - 610
  44. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』pp.610 - 613
  45. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.685
  46. ^ a b 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.23
  47. ^ a b 「最盛期を迎えた安芸トンネル」p.20
  48. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.686
  49. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.613
  50. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.614
  51. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』pp.614 - 616
  52. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』pp.621 - 623
  53. ^ 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』pp.655 - 658
  54. ^ a b c d 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.24
  55. ^ a b 『山陽新幹線(大門・小瀬川間)工事誌』p.1248


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