大葉亀之進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/16 16:13 UTC 版)
後継者
亀之進の後継者は2人いる[1]。1人は長男の大葉富男であり(後述)[6]、もう1人は桜井良雄(1941年-)である[1]。桜井良雄は宮城県刈田郡滑津の生まれで1970年頃より亀之進の指導を受けた。1973年に独立。
大葉富男
おおば とみお 大葉 富雄 | |
---|---|
生誕 |
1926年10月9日 宮城県刈田郡七ヶ宿町稲子 |
国籍 | 日本 |
職業 | こけし工人 |
大葉富雄 (おおば とみお、1926年10月9日-)は40歳を超えてからこけし工人となった。亀之進と同じように、大葉富男も稲子の区長を務めた。冬季の生活必需品は大葉富男の妻が、事前に町役場に購入希望物品のリストを連絡し、町の職員が手配して町保有の雪上車を使って月に2-3回町から大場宅前まで運んでいた[6][12]。1980年代に山形県高畠町に土地を購入して一家で移住しようとしたことがあったが[9]、亀之進が「俺は伊達政宗の山守。絶対に出て行かねぇ」と譲らず実現しなかった[9]。1996年まで冬の間は郵便配達もしていた[6]。稲子峠が除雪されない頃は、スキーやかんじきを履いて8km離れた湯原地区の郵便局まで毎日4時間かけて往復した[6]。1997年ごろは妻が稲子で最も若い住人で(当時68歳)、地区の老人の世話役をしていた[12]。1999年に父親亀之進が死去する。2007年10月、大葉富雄宅で「町政懇談会」が開催され、梅津輝雄町長より冬季の集落外移住生活が提案されたが[5]、「町政懇談会」に参加したのは大葉夫妻2人だけであった。大葉夫妻以外の全員が冬季は稲子を去り町で生活することを決めた[5]。また山形県米沢市に住む長男は、米沢市の自宅を改装して2世帯同居ができるようにしたが[5]、大葉富雄夫妻は今になって大場亀之進の稲子を離れようとしなかった気持ちが判るとして、同居の話を断った[5]。2010年、妻が脳内出血となり後遺症の麻痺により身の回りの生活に不自由が発生するようになった[9]。そのため、2012年から東京と埼玉に住む娘2人が2週間交代で稲子に滞在し家事介助をするようになった[9][13]。米沢市の長男も買い物や病院送迎のために週に1回稲子を訪れるようになった[9][13]。2011年、七ヶ宿町は稲子地区への町道の除雪費用節減と吹雪のときの救急患者搬送の困難より、冬季は稲子地区を離れて老人施設や空いている町営住宅で生活するように改めて要請した[4]。除雪作業回数の削減により事実上冬季は稲子で生活できなくなり、住人全員が冬季は山を下りて町で生活することになった[3]。2012年には住人の数が1桁となったが[14]、2013年現在も大葉家には亀之進が書いた木地講習会の資料や図面である「木地細工製作寸法張」が残されていた[1]。2008年頃までのこけし作品が認められているが、2015年には加齢によりこけし制作を止めている。2017年夏、91歳になった大葉富男は、88歳になる妻の介護のこともあり、稲子を離れて町の中心部にある特別養護老人ホームに入ることになった[4]。施設入所後は、毎日のように「稲子に帰りたい」と漏らして妻を困らせたという。
評価
昭和47年以降の大葉亀之進の作風に似る。初期の作品の彩色は稚拙であったがその後上達が見られる。亀之進と違ってこけし制作は林業や郵便配達の間の副業であり、制作本数は多くない。他の仕事が出来ない冬季を中心にこけし制作をしていた[5]。亀之進と一緒にこけしを制作していた時期にも、自ら亀之進の域に達していないことを認めている。亀之進の晩年の作風の変化に伴い、大葉富男の作風も同様に変化している。亀之進の死後は目立った変化はないが、晩年にはこけしの表情に筆の衰えが目立つようになった。作品のこけしの背面には、「大葉富男」と記載されており、「稲子」などの記載はない。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k 癒やしの微笑 東北こけしの話<高橋五郎>(55)/宮城・七ヶ宿町<下>/ 2013.10.20 河北新報記事情報 写有 (全897字)
- ^ a b c d e f g h i j k l m 山守の家系(稲子の人々 仙台藩山守足軽村から:1) /宮城 1997.01.01 朝日新聞 東京地方版/宮城 0頁 宮城 写図有 (全2,469字)
- ^ a b c eye:春なのに、集落1人きり 毎日新聞 2017.06.03 東京夕刊 3頁 総合面 写図有 (全999字)
- ^ a b c 「超限界集落」ついに1世帯1人に 高齢者相次ぎ特養へ 2017年12月14日(木) 朝日新聞 8:00配信
- ^ a b c d e f g h (中山間地 七ヶ宿町から:4)豪雪地の集落 古里離れがたく越冬 /宮城県 2007.12.01 朝日新聞 東京地方版/宮城 25頁 宮城全県 写図有 (全1,103字)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 生活のハンドル(稲子の人々 仙台藩山守足軽村から:3) 朝日新聞/宮城 1997.01.06 東京地方版/宮城 0頁 宮城 写図有 (全1,219字)
- ^ 分校の先生(稲子の人々 仙台藩山守足軽村から:6) /宮城 朝日新聞 1997.01.10 東京地方版/宮城 0頁 宮城 写図有 (全1,187字)
- ^ a b 稲子の夏 仙台藩山守の村 宮城・七ケ宿(1)/藩境争い 幕府の裁定を仰ぐ 1995.08.09 河北新報記事情報 写図有 (全1,381字)
- ^ a b c d e f g h (ルポ 現在地)七ヶ宿町稲子 3世帯4人の超・限界集落 /宮城県 2016.11.27 朝日新聞 東京地方版/宮城 27頁 宮城全県 写図有 (全2,099字)
- ^ ひ孫らの歓声と笑顔(稲子の人々 仙台藩山守足軽村から:4)/宮城 朝日新聞 1997.01.08 東京地方版/宮城 0頁 宮城 写図有 (全1,274字)
- ^ a b 稲子の夏 仙台藩山守の村 宮城・七ケ宿(5)/自然の宝庫 ナメコ栽培に新風 1995.08.15 河北新報記事情報 写有 (全1,194字)
- ^ a b 陸の孤島(稲子の人々 仙台藩山守足軽村から:2) /宮城 朝日新聞 1997.01.05 東京地方版/宮城 0頁 宮城 写図有 (全1,203字)
- ^ a b 地域の現場から 16参院選・みやぎ/「限界」超えた山里/3世帯 消えゆく集落/ 2016.06.30 河北新報記事情報 写図有 (全1,270字)
- ^ 声の交差点/斎藤健(76)=白石市・無職= 自然と人情と「稲子」に感動 2012.05.04 河北新報記事情報 (全378字)
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