別子銅山記念館 利用情報

別子銅山記念館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/24 13:38 UTC 版)

利用情報

開館時間:午前9時~午後4時
休館日:毎週月曜日・国民の祝日(祝日が日曜日と重なる場合は開館)、年末年始(12月29日~1月3日)と10月17日
入館料:無料
入館時に住所氏名を記帳のこと、館内撮影禁止

周辺の関連遺産

  • 山根競技場観覧席:住友社員の奉仕作業により1928年(昭和3年)に建設されたもので、高さ14m幅170m最大170段の石積み、2009年(平成21年)8月7日に国の登録有形文化財に登録された。
  • 旧山根製錬所煙突:新居浜市角野新田町3丁目にある煙突[3]。別子銅山の製錬事業を山中から市街地の山根製錬所に移転させるために建設された煙突で1888年完成[3]。四角形平面の煉瓦造、高さ19m。煙突から排出される亜硫酸ガスが問題となり1995年に閉鎖となった[3]。2009年(平成21年)8月7日に国の登録有形文化財に登録された。
  • 大山積神社:元禄4年(1691年)6月、別子銅山開業の際に鎮護の神として大三島より銅山峰嶺南の旧別子に勧請されたが、銅山の重点が東平そして端出場に移ることにより1927年(昭和2年)10月内宮神社に仮遷座された後、1928年(昭和3年)5月1日現在地に遷座した。
  • 山根収銅所:坑内排水に含まれた銅成分を取り除く設備で、明治38年(1905)に建設されたもので現在も現役で稼働中である。当館と川を挟んで西側の内宮神社の下にある。
  • 立川中宿・立川精銅所跡:当館とマイントピア別子の中間にあり、別子銅山口屋との粗銅や生活物資運搬の中継基地として1702年(元禄15年)立川中宿が設置された。1869年(明治9年)からは立川精銅所が置かれたが、1888年(明治21年)惣開に精銅所ができるとその役目を終えた。

  1. ^ 入館時に同館からもらえるパンフレットより、以下もそれを参照
  2. ^ 各車両の説明は現地案内看板を参照
  3. ^ a b c 大煙突に光当てた15年 産業遺産点灯の新居浜・伊藤さん 春に終止符”. 愛媛新聞. 2021年1月31日閲覧。


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