入野義朗
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脚注
参考文献
- 国立音楽大学附属図書館編『入野義朗』 (人物書誌大系19) 日外アソシエーツ, 1988
- 高久暁「入野義朗」『日本の作曲20世紀』音楽之友社、1999、pp142-145
- 秋山邦晴「入野義朗 : 十二音音楽への単独航海者の歌」『日本の作曲家たち. 下』音楽之友社、1979、pp27-52
関連項目
- 入野賞
- アジア作曲家連盟入野義朗記念賞(ACL入野義朗記念賞)
外部リンク
- JMLセミナー/入野義朗音楽事務所 個人事務所として1972年に設立。現在では高橋冽子の下、音楽教育や現代音楽振興の場となっている。
- アジア作曲家連盟(英語) 入野他4人の作曲家の下に1973年設立された。1981年から「入野義朗記念賞」を主催している。日本作曲家協議会公式ページの中に、この連盟についての紹介がある。
- 入野義朗楽譜CD/マザーアース
注釈
- ^ 戸籍上も改めたか否かは不明。
- ^ 現在は応援歌として使用。
- ^ 2006年、統廃合により目黒区立目黒中央中学校となったため現在は不使用。
- ^ 2012年、統廃合により新生取手市立取手第一中学校となり校歌を改めたため、現在は不使用。
- ^ 2002年、統廃合により東京都立世田谷泉高等学校となったため現在は不使用。
- ^ 2004年に三重県立伊勢まなび高等学校と改称、校歌も改めたため現在は不使用。
- ^ 2000年、男女共学化により湘南学院高等学校となったため現在は不使用。
- ^ 1998年、広島県立神辺高等学校と改称。
- ^ 2006年に廃校。
- ^ 1976年に廃校。
- ^ 2007年、統廃合により東京都立東久留米総合高等学校となったため、現在は不使用。
出典
- ^ 国立音楽大学、p231, 257
- ^ a b c d 国立音楽大学、p239
- ^ 日本の作曲家 : 近現代音楽人名辞典. 日外アソシエーツ、2008、p94
- ^ 国立音楽大学、pp3-108
- ^ a b 国立音楽大学、p258
- ^ 国立音楽大学、pp231-232
- ^ a b c 国立音楽大学、pp232-234
- ^ 国立音楽大学、p234
- ^ 日本音楽コンクール入賞者一覧 第11~20回 2020年9月28日閲覧。
- ^ 『日本の作曲20世紀』(音楽之友社)142頁や、現代日本のオーケストラ音楽第28回演奏会プログラムなど。『日本の作曲20世紀』において、入野の項目を担当した高久暁は、この作品以前に十二音技法による試作が行われていた可能性を指摘している。日本における十二音技法の受容については、長木誠司が『レコード芸術』に2005年から翌年にかけて連載した「日本の十二音技法」に詳しい。
- ^ 国立音楽大学、pp235-236
- ^ 日本近代音楽館『戦後作曲家グループ・活動の軌跡 1945-1960』 (奏楽堂春の特別展「戦後音楽の旗手たち」) 1998.04, pp20-23
- ^ 国立音楽大学、p244
- ^ 国立音楽大学、p248
- ^ a b 国立音楽大学、pp252-254
- ^ a b c d 国立音楽大学、p240
- ^ a b c 国立音楽大学、p243
- ^ JASRAC80年史. 日本音楽著作権協会、2019、p47
- ^ JASRAC80年史. pp217-218
- ^ 国立音楽大学、p251
- ^ a b 国立音楽大学、p236
- ^ 国立音楽大学、p237
- ^ 『シェーンベルクとその楽派』ルネ・レイボヴィッツ著、入野義朗訳、音楽之友社、1965、訳者まえがき (英語版), p336
- ^ a b c d e 国立音楽大学、pp257-258
- ^ 富樫康 (1980-11). “松平、湯浅、石井が新作献呈-入野義明追悼演奏会”. 音楽芸術 38 (11): 72. doi:10.11501/2293591.
- ^ a b 国立音楽大学、pp258-259
- ^ a b c d e 国立音楽大学、p259
- ^ 「入野義朗没後20周年コンサート」プログラム冊子 (JMLセミナー入野義朗音楽研究所、2000)
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固有名詞の分類
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