倉田百三
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/18 05:57 UTC 版)
家族・子孫
- 高山晴子 - 倉田百三の最初の妻。長男倉田地三を儲ける。離婚後は地三を百三が引き取るが、大森に看病に訪れる。その後、福岡仮寓中に出会っていた薄田研二と結婚、高山象三を儲ける。さらに後、薄田が内田礼子と結婚すると、地三と共に暮らす。
- 伊吹山直子 - 後妻。百三と結婚後、地三を育てて早稲田大学文学部へ進学させる。
- 伊吹山徳司 - 直子の実父にして百三の義父。盛岡出身。旧制第一高等学校卒業後、東京帝国大学に進学、1895年(明治28年)に卒業。日本郵船の上海支店長を勤め上海港の開発・整備に尽力した[4]。1920年、上海にて病没。
- 伊吹山次郎 - 直子の兄弟にして百三の義兄弟。文学者。ゴーゴリやドストエフスキーらの作品を訳した。
- 伊吹山四郎 - 直子の兄弟にして百三の義兄弟。1918年生まれ、1943年東京帝国大学工学部土木工学科卒業。工学博士、技術士。1951年~52年米国留学。同年、建設省関門国道(トンネル)工事事務所調査設計課長、1958年土木研究所道路研究室長、1962年道路部長、1970年所長、1972年大林道路(株)常務取締役、1984年代表取締役副社長。日本大学教授及び東京湾横断道路(アクアライン)トンネル構造検討委員会委員長兼務。1983年攻玉社工科短期大学学長就任、1991年勲三等瑞宝章を受章、1997年(社)土木学会功績賞を受賞、2002年名誉学長、(社)日本道路協会名誉会員、大林道路役員等を歴任。2012年死去。
- 倉田艶子-妹。日本女子大学に学び、在学中は当時一高に在学していた菊池寛の退学に間接的に関わる(マント事件)。劇作、小説を書き、百三没後はその思い出などを書いた。小西増太郎の次男・弓次郎と結婚、1988年没。
- 倉田地三 - 長男。後に俳優となる。
- 宗藤尚三 - 甥。百三の妹・重子の息子。百三にあこがれ宗教者、随筆家となる。2016年没。
倉田百三と同じ種類の言葉
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