両墓制 発生要因

両墓制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 10:26 UTC 版)

発生要因

両墓制がなぜ発生したのかということに関しては、不明な点が多くはっきりしない。

代表的な意見としては、死穢の観念や遺体恐怖から遺体埋葬地を人里離れた場所に作り、人の住む場所の近くや寺院境内に死者供養のための石塔墓地を別に作ったというものがある。

現実に、土葬習慣における腐敗した遺体の臭気を避けるため、また昔は医療が発達しておらず死因が殆ど判らないために、遺体より伝染病などに感染する確率が非常に高く、さらには都市部では人口が多いため住宅が現代のように密集しており、また長屋暮らしの者には庭はなく、我が家の庭へご遺体を埋めるわけにはいかないので遺体は埋め墓へ埋葬するが、埋葬後遺体がある程度、土へ還れば他者の遺体もその場所へ埋葬しなければ用地が足りない。しかしそうなれば、我が家のお墓を永久的に保つことは出来ないので、埋葬地を別にしたとも考えられる。

柳田は、埋め墓において個人の埋めた場所が曖昧であったり、わからないといった例を用いて、死穢や魂の問題から埋め墓を墓として認識しておらず、詣り墓こそが本来の墓であると考えた。また、改葬、風葬習慣から両墓制が発生したとした。

また、大間知は死穢を畏れる古い習慣がもともと存在し、同時に死者供養のための石塔を受容して両墓制は発生したとした。

柳田らの考え方では、祖霊信仰に基づいて日本固有の古い習俗として位置づけるものがあったが、一方で庶民の墓に石塔を墓標として建てる習慣が中世末より近世期に一般的になったことや、両墓制が近畿地方にのみ濃密で、他の地域では極端に例が少なくなることを踏まえて、両墓制はそれほど古い習俗ではないという考え方もある。


  1. ^ ただし、柳田も昭和20年の『先祖の話』の中では、「両墓制」という言葉を使っている。
  2. ^ 大間知篤三「両墓制の資料」(『山村生活調査第二報告書』、昭和11年)の「一 両墓制前書」に定義がある。
  3. ^ 『都道府県別日本の民俗分布地図集成』より。1973年~1983年の都道府県別に代表的な集落を選んで行った民俗調査に基づく。ただし、一部、両墓制及び葬制の調査項目がない府県がある。
  4. ^ 佐久市志編纂委員会編纂『佐久市志 民俗編 上』佐久市志刊行会、1990年、827 - 828ページ。


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