上野陽一
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論文
- 「目の誤りの話」『心理学通俗講話』第2輯 (1910)
- 「リボー感情の論理」目黒書店発行『新著梗概』第6輯 (1911)
- 「注意の広さについて」『心理学通俗講話』第5輯 (1913)
- 「職業選択の心理」『心理研究』第3巻5冊 (通巻17号) (1913)
- 「行動説の主張 - 心理学の新定義」『心理研究』第4巻3冊 (通巻21号) (1913)
- 「フロイドの夢の説 (上)(下)」『心理研究』第6巻3冊 (通巻33号) - 4冊 (通巻34号) (1914)
- 「精神分析学者の観たる教育」『心理研究』第8巻1冊 (通巻43号) (1915)
- 「児童観の変遷と文明の進歩」『心理研究』第17巻 (通巻93号) (1920)
- 「科学的管理法の祖ティラーと後継者ギルプレス」『心理研究』第17巻 (通巻100号) (1920)
- 「行動主義心理学者の見たる教育」『心理研究』第17巻 (通巻102号) (1920)
- 「条件反射と児童研究」『心理研究』第18巻 (通巻107号) (1920)
- 「国字問題と国語教育」千葉春雄編『最近の心理学と国語教育の問題』厚生閣 (1932)
- 「タイプライチング作業の微動作研究」『産業能率』第6巻3号 (1934)
- 「社会計画」『現代心理学 2. 社会心理学』河出書房 (1942)
関連項目
- 学校法人産業能率大学
- 横濱専門学校(現・神奈川大学)-創設者米田吉盛に請われ講師を担当する。
- 上野一郎 - 陽一の長男。産業能率短期大学を母体に産業能率大学を設立。
- 上野彦馬 - 陽一の伯父に当たる(陽一の父・幸馬の実兄が彦馬)。日本における最初期の写真家であり、「日本写真の開祖」として知られる。幸馬が早くに亡くなったため、陽一は少年時代の一時期を長崎の彦馬の下で過ごした。
- 国語国字問題 - 陽一は能率運動との関係で国字問題に関心を持ち、カナモジカイの有力な支援者となり、自著『教育能率の根本問題』で将来の日本人のためには教育の根本問題である国語国字の改善が第一歩であると説いた。また、自著の専門書の大部分もカタカナ・漢字ワカチグミの横書きで出版された。
外部リンク
- 創立者上野陽一(産業能率大学)
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus『上野陽一』 - コトバンク
固有名詞の分類
- 上野陽一のページへのリンク