ロングイェールビーン 産業

ロングイェールビーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/24 09:38 UTC 版)

産業

石炭

石炭採掘は今でも大きな役割を持っている。SNSKは2つの炭鉱(ロングイェールビーン第7とスウェア)を操業しており、町の人口の半分は炭鉱で従事している。

現在ロングイェールビーンの採鉱活動は、町から1マイルほど東へ行った第7炭鉱で行われている。 年間6万トン産出する石炭はトラックで町に運ばれ、その大半はノルウェー唯一の石炭発電所であるロングイェール発電所で使われる。それ以外はHotellnesetの港に送られる。炭鉱は機械化されており、最後まで人力で採鉱されていた第3炭鉱は1996年に閉坑になった。

第1炭鉱の粉塵爆発の犠牲者26名と1918年にスペイン風邪で死んだ7名が埋葬された墓地

第1炭鉱はアメリカ人の炭鉱とも呼ばれるロングイェールビーン最初の炭鉱で、1906年に開かれ1958年に閉じられた。ロングイェール谷の北側にある。1920年1月3日夜に粉塵爆発があり26名の鉱夫が犠牲になったことで閉鎖された。

谷の南側にある第2炭鉱は1913年に採掘準備が始まり、実際に産出が始まったのは1921年のことである。しかし第2炭鉱の地質条件は次第に難しくなり操業は1938年に止まってしまった。

会社はなんとかして操業を続けようと第1炭鉱の採掘を再開することにした。 入坑口は谷の奥へと移動し1939年から採鉱が始まり、1B炭鉱と呼ばれるようになった。 同時に入坑口の近くにSverdrupbyenという集落ができた。 1B炭鉱の操業は次第に地質条件が難しくなり、1950年から1958年は採掘準備のためだけに掘り続けていた。 1958年石炭価格が下落し操業効率を上げる必要があるという観点から閉坑となった。 1B炭鉱の内部はその後1960年代後半までは、飲料水を貯蔵するために使われた。

第2炭鉱の新しい入坑口

第2炭鉱は数年のあいだよく産出していたが1930年代になると坑道が長くなり輸送できる限界を超えてしまった。1937年に最初の入坑口からの産出がおわり、谷の奥のNybyenの近くに新たな入坑口が作られた。第二次世界大戦中の1943年、第2炭鉱はドイツの戦艦シャルンホルストの砲撃により火がつき1962年まで燃え続けた。戦後、第2炭鉱での操業が再開し1947年に産出が始まった。1952年ガス爆発があり6名の鉱夫が犠牲になった。第5炭鉱が開かれかつ石炭価格が下落したため1960年から1964年にかけて操業中断していた。その後、操業は再開されたが1968年に終わった。

空港の山側の第3炭鉱の採掘準備は1969年に始まり、 産出は1971年に始まり、1976年度には第3炭鉱だけでSNSKの石炭産出の半分になるほどだった。 1996年に産出がとまり操業停止となった。

第4炭鉱は規模が最小で、産出効率が低いためにわずか2年で1970年に閉鎖された。 第2炭鉱のベルトコンベアを使って石炭を取り出していた。

第5炭鉱はロングイェール谷からおよそ10km東へ行ったエン谷にあり、町から離れた所で採掘された最初の炭鉱である。 まず道路を敷設し、電線と電話線をひいてから採掘準備が始まった。 埠頭から炭鉱への道路は1957年に完成し、この年に採掘準備が始まった。 翌年炭鉱へのリフトができ重機が導入された。 石炭の産出は1959年にはじまり1972年枯渇により閉鎖された。

第6炭鉱の採掘準備は1967年に始まり1969年から産出された。 1981年、石炭を取り尽くしたわけではないが産出は終了した。 石炭の残量は38万トンと見積もられている。 この炭鉱の石炭は熱量が小さい。

第7炭鉱はアドベント谷の奥、Bolter谷とFox谷の間にあり、ロングイェールビーンで現在も操業中の唯一の炭鉱である。 探鉱と採掘準備に数年をかけ、1976年から産出している。 1978年産出が中断し、ベルトコンベアや輸送機器の修理が終わった1981年から再開している。

1920年に石炭発電所ができてから電力供給は安定した。 1982年に地域熱供給ネットワーク付きのより近代的な石炭発電所に置き換わった。 年間108ギガワット時のうち、55GWhが電力、53GWhが地域熱供給として使われている。 またここでUNISによる砂岩にCO2を注入する研究が行われている。

観光

スヴァールバル空港にある世界の都市への距離を示す標識

観光客は主に春から夏にかけて訪れ、2月から11月までいくつかの旅行企画会社が様々なガイドツアーを提供している。春はスノーモービルを特別な許可なしで運転できるノルウェーでは珍しい場所であることから非常に人気がある。ただし環境保護のため立ち入りできない場所も多くある。

ロングイェールビーンのすぐ西にスヴァールバル空港がある。トロムソオスロへの定期便が就航していて、年間12万人が利用している(2007年)。ロングイェールビーンは現在誰もが飛行機で行くことのできる世界最北の地であり、それに伴って様々な世界最北が存在する。教会、大学、ロータリークラブ、銀行、ATM、病院、幼稚園、公立図書館、ナイトクラブ、パブ、学校、スーパーマーケット、観光案内所、定期便のある空港、バス停、港湾、タクシー乗り場、ギャラリー、映画館などなどである。

1950年代にはホッキョクグマハンティングの時代になる。1973年に保護されるまでに、およそ700頭のホッキョクグマが観光の名の下に狩られた。現代でも町から出る際にはホッキョクグマの襲撃に備え、銃の携行が義務づけられている。

かつてスヴァールバルへの観光は客船旅行が主で、1970年代初頭には年間5~6千人の客船旅行客が訪れていた。しかし1975年にスヴァールバル空港ができたことで、住民と観光客の双方に大きな変化がおきた。1985年になって若干の生鮮食品が滞在者向けの商店で手に入るようになり、観光客向けの宿泊施設ができるのにさらに数年を要したが、1990年代以降は観光業は急成長を遂げている。現在では年間4万人の観光客がロングイェールビーンを訪れているが、それでもNordkalotten(スカンジナビア半島北部)全体の1%に満たない。平均滞在期間は2.2日である。8割はノルウェー本土からの観光客であり、外国からはスウェーデン、デンマーク、ドイツ、イギリスなどが多い。

スヴァールバルは免税地域であり、ノルウェー本土との物品の輸送については外国としての扱いを受ける。


  1. ^ Dagmar Hagen & Tommy Prestø (2007). Biologisk mangfold - temarapport som grunnlag for arealplan for Longyearbyen planområde. Norsk institutt for naturforskning 
  2. ^ Longyearbyen Climate Guide, Svalbard”. Weather2Travel. 2010年6月14日閲覧。
  3. ^ ちなみに1920年のノルウェーの歳入が1250万クローネであった
  4. ^ https://www.politico.eu/article/coal-phaseout-reaches-remote-arctic-archipelago-svalbard-norway/
  5. ^ Kristin Straumsheim Grønli (2006年12月13日). “Øyet i himmelen laster ned på Svalbard”. Forskning.no. 2007年12月9日閲覧。
  6. ^ The Seed Bank Atop the World. latimes.com. Retrieved October 12, 2007.






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