リバティ L-12 リバティ L-12の概要

リバティ L-12

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/19 08:48 UTC 版)

リバティ L-12

開発

アメリカ合衆国が対独宣戦した1ヶ月後の1917年5月、航空機生産委員会 (Aircraft Production Board) は当時トップレベルのエンジン設計者であったジェシー・G・ヴィンセント (パッカードに所属) とエルバート・J・ホール (カリフォルニア州バークレーにあったホール・スコット・モーターカーに所属) の2人をワシントンD.C.に呼び出した。彼らは可能な限り速やかにイギリスフランスドイツといったライバルを凌駕する航空機用エンジンを設計するよう命じられた。しかも「パワーウェイトレシオに優れ、量産に適するもの」という条件がつけられていた。

委員会はヴィンセントとホールを1917年5月29日にウィラード・インターコンチネンタル・ワシントンに呼び出し、基本設計図一式が書き上がるまで滞在するよう命じた。わずか5日後にはヴィンセントとホールは新型エンジンの完全な設計図を手にホテルを後にした[1]。新型エンジンは、後発のメルセデス D.IIIaとほとんど変わらないSOHCシステムとロッカーアーム・バルブトレインを採用する設計であった。

1917年7月にはパッカードのデトロイト工場で組み上げられた8気筒の試作機が試験のためワシントンに送られ、続いて8月には12気筒の完成品が試験を受けて承認された。

生産

完成したリバティ L-12の初号機。右に立っているのはヘンリー・"ハップ"・アーノルド少佐。
リバティ L-12の生産数推移
フォード製リバティ L-12の銘板。シリンダーの点火順序が書かれている。

1917年秋には陸軍省から22,500基が発注され、ビュイックフォードキャデラックリンカーン、マーモン、パッカードの各自動車・エンジンメーカーに生産が割り振られた。設計者の一人、ホールが所属していたホール・スコットは規模が小さすぎて対応できないと判断された。モジュール化設計により、複数工場での生産が進められた[2]

フォードはシリンダーの供給と、鋼板の切断・プレスの改良工法を迅速に開発することを命じられた。この結果、シリンダーの生産レートは日産151基から2000基以上になり、シリンダー433,826基のすべてと、3,950台のエンジンを完成させた[3]。リンカーンはリバティエンジンの生産のためだけに新工場を建設し、12ヶ月で2,000台のエンジンを組み上げた。休戦協定が締結されるまでの間に、様々な企業で合計13,574基のリバティエンジンが製造され、生産レートは日産150基に上った。戦後も生産が続けられ、1917年7月4日から1919年までの間に合計20,478基が完成した[4]

フランスで稼働したのはエアコー DH.4のアメリカ生産機に搭載された何基かだけである[5]

リンカーンでの生産

アメリカが第一次世界大戦に参戦すると、キャデラック(既にゼネラルモーターズ傘下であった)はリバティエンジン生産の打診を受けた。しかし、平和主義者であった当時の社長ウィリアム・C・デュラントは、ゼネラルモーターズやキャデラックの生産設備で軍需品を生産することに反対していた。このため、ヘンリー・リーランドはキャデラックを去り、リバティエンジンの生産のためリンカーン・モーターカンパニーを立ち上げた。リーランドはすぐさま1,000万ドルでエンジン6,000基を生産する契約を取り付けた[6]。その後、契約台数は9,000基に増やされ、さらに政府が必要とする場合は8,000基を追加するオプションも追加された[7]。デュラントはその後心変わりし、キャデラックとビュイックの工場でエンジン生産に取り組んだ[8]

1918年のうちに、16,000基以上のリバティエンジンが生産された。1918年11月11日の時点で、14,000基以上が生産済みだった[9]。リンカーンは1919年1月に生産停止するまでに、実に6,500基を納品した[10]

設計

リバティ L-12のバルブトレインの拡大。メルセデス D.IIIaとほとんど同じである。

リバティエンジンはモジュール化設計が取り入れられており、4気筒または6気筒のシリンダーブロックを1列または2列に並べることで直列4気筒・V型8気筒・直列6気筒、V型12気筒とすることができた。

エンジン全体は上下に2分割されたアルミニウム鋳造のクランクケースにまとめられており、外周部に設けられたボルトで一体化された。当時のエンジンに共通する構造だが、シリンダーは冷却水を流すため周囲に薄い金属製のジャケットを備えた鍛造鋼管から個別に成形されていた。

各シリンダーバンク用の一本のオーバーヘッドカムシャフトは、直列6気筒のドイツのメルセデス D.IIIおよびBMW IIIとほぼ同じ形式で、シリンダーあたり2つのバルブを駆動した。 各カムシャフトは各シリンダーバンクの後部に配置された垂直軸によって駆動されており、これもメルセデス D.IIIおよびBMW IIIと同様であった。点火装置デルコ・エレクトロニクスキャブレターはゼニスから供給された。 乾燥重量は844ポンド(383kg)であった。

6気筒モデルのリバティ L-6の外観はメルセデス D.IIIおよびBMW IIIに非常によく似ていた。52基生産されたが軍に納入されることはなかった。52基のうち1基はウィリアム・クリスマスが設計したクリスマス ブレットに搭載されたが、初飛行で墜落して失われた。


  1. ^ Trout, Steven (2006). Cather Studies Vol. 6: History, Memory, and War. University of Nebraska Press. pp. 275–276. ISBN 0-8032-9464-6 
  2. ^ Yenne, Bill (2006). The American Aircraft Factory in World War II. Zenith Imprint. pp. 15–17. ISBN 0-7603-2300-3 
  3. ^ O'Callaghan, Timothy J. (2002). The Aviation Legacy of Henry & Edsel Ford. Wayne State University Press. pp. 163–164. ISBN 1-928623-01-8 
  4. ^ Anderson, John David (2002). The Airplane: A History of Its Technology. AIAA. p. 157. ISBN 1-56347-525-1 
  5. ^ Vincent 1919, p. 400.
  6. ^ Weiss 2003, p. 45.
  7. ^ Leland and Millbrook 1996, p. 189.
  8. ^ Weiss, H. Eugene (2003). Chrysler, Ford, Durant, and Sloan. McFarland. p. 45. ISBN 0-7864-1611-4 
  9. ^ Squier, George O. (10 Jan 1919). “Aeronautics In The United States, 1918”. Transactions Of The American Institute Of Electrical Engineers XXXVIII: 13. https://books.google.com/books/download/Transactions_of_the_American_Institute_o.pdf?id=ils2AQAAMAAJ&hl=en&capid=AFLRE71ohHV9E3w1ThZquCccNiCthsHPuCu-ZbCj0R6gDM8S3PIqJOHJqksUzbvdGyih0frFYYF0Vq221vLy0EtyPdb8q_fMSw&continue=https://books.google.com/books/download/Transactions_of_the_American_Institute_o.pdf%3Fid%3Dils2AQAAMAAJ%26output%3Dpdf%26hl%3Den 2015年9月17日閲覧。. 
  10. ^ Leland and Millbrook 1996, p. 194.
  11. ^ Gunston, Bill (1986). World Encyclopaedia of Aero Engines. Patrick Stephens. p. 106. ISBN 0-85059-717-X 
  12. ^ Grey, C.G., ed (1928). Jane's all the World's Aircraft 1928. London: Sampson Low, Marston & company, ltd. p. 58d 
  13. ^ http://www.sil.si.edu/smithsoniancontributions/AnnalsofFlight/text/SAOF-0001.3.txt
  14. ^ Foreman-Peck, James; Sue Bowden; Alan McKinley (1995). The British Motor Industry. Manchester University Press. p. 87. ISBN 0-7190-2612-1 
  15. ^ Neal, Robert J. (2009). A technical & operational history of the Liberty engine : tanks, ships and aircraft 1917-1960. North Branch, MN: Specialty Press. ISBN 978-1580071499 
  16. ^ Liberty V12 Engine”. darwinsairwar.com.au. Darwins Aviation Museum. 2017年1月29日閲覧。
  17. ^ Liberty 12A V-12”. New England Air Museum. 2013年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月30日閲覧。
  18. ^ Cole Palen's Old Rhinebeck Aerodrome - Aircraft Engines - Page 4 - Liberty”. oldrhinebeck.org. Rhinebeck Aerodrome Museum. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月22日閲覧。 “Produced in large numbers and used extensively in mail planes following the War, the Liberty was a significant U.S. contribution to aviation. Jesse Vincent of Packard and E.J. Hall of Hall-Scott designed the engine in five days. One month later the first prototype was built and running.”
  19. ^ Grey, C.G. (1969). Jane's All the World's Aircraft 1919 (Facsimile ed.). David & Charles (Publishing) Limited. pp. 1b to 145b. ISBN 0-7153-4647-4 


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