リカルド・ナニータ 経歴

リカルド・ナニータ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/10 04:41 UTC 版)

経歴

プロ入りとマイナー時代

2003年MLBドラフト14巡目(全体412位)でシカゴ・ホワイトソックスから指名され入団。ルーキー級グレートフォールズ・ホワイトソックスで47試合に出場し、5本塁打37打点11盗塁、打率.384だった。

2004年はA+級ウィンストン・セーラム・ワルホグズとA級カナポリス・インティミデイターズでプレー。

2005年はA+級ウィンストン・セーラムで120試合に出場し、9本塁打54打点14盗塁、打率.292だった。

2006年はAA級バーミングハム・バロンズで106試合に出場し、8本塁打42打点11盗塁、打率.286だった。

2007年はAA級バーミングハムで123試合に出場し、5本塁打42打点10盗塁、打率.260だった。

2008年はAA級バーミングハムで111試合に出場し、9本塁打51打点14盗塁、打率.286だった。オフに行われたルール・ファイブ・ドラフトで、ワシントン・ナショナルズから指名され移籍。

2009年は開幕をメキシカンリーグモンテレイ・サルタンズで迎え、5月からはベラクルス・レッドイーグルスでプレー。7月からルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ナショナルズでプレーし、9試合に出場した。

2010年はメキシカンリーグのタバスコ・キャトルメンでプレー。62試合に出場し、6本塁打30打点1盗塁、打率.341だった。8月30日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ。AA級ニューハンプシャー・フィッシャーキャッツで6試合に出場した。

2011年はAA級ニューハンプシャーとAAA級ラスベガス・フィフティワンズでプレー。AAA級では51試合に出場し、8本塁打33打点6盗塁、打率.363だった。

2012年1月6日にブルージェイズとマイナー契約で再契約した。AAA級ラスベガスで93試合に出場し、12本塁打62打点3盗塁、打率.306だった。オフの11月21日にブルージェイズとマイナー契約で再契約を結んだ[1]

2013年は招待選手としてスプリングトレーニングに参加した[2]。シーズン開幕前の3月に開催された第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ドミニカ共和国代表に選出された[3]。同大会でドミニカ共和国は優勝している。

シーズンはAA級ニューハンプシャーで開幕を迎えた。5月にAAA級バッファロー・バイソンズへ昇格。AAA級では38試合に出場し、2本塁打14打点1盗塁、打率.261だった。

2014年1月20日にブルージェイズとマイナー契約で再契約した。スプリングトレーニングには、招待選手として参加し、終了後、傘下AAAのバッファロー・バイソンズへ異動した。5月17日に、メキシカンリーグのキンタナロー・タイガースへ移籍した。オフに、リーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナアギラス・シバエーニャスに参加した。

中日時代

2014年12月15日に中日ドラゴンズと契約を結んだ[4]

2015年3月27日の阪神タイガース戦で初出場を果たす。4月14日の対阪神戦では来日後初のサヨナラヒットを放った。持病の腰痛や左肘痛に悩まされ58試合出場に留まり本塁打も0本だったものの、打率は3割8厘をマークした[5]。8月には左肘の遊離軟骨除去手術を受けた[6]

2016年は開幕当初は代打出場が中心だったが、4月12日の広島東洋カープ戦からは5番に入り[7]、4月23日の東京ヤクルトスワローズ戦では小川泰弘から来日初本塁打を放った[7]。20試合連続安打を記録し活躍したが、7月下旬に登録抹消された。8月9日に一軍登録されるが、怪我の影響で8月16日に登録抹消され、そのままシーズンを終えた。10月30日に球団は契約更新をしない方針であることが報道され、12月2日、自由契約公示された[8]

中日退団後

2017年1月に左肘トミー・ジョン手術を受けた。そして、無所属のまま2017年シーズンを全休し、リハビリに専念することを明らかにした。5月にはキャッチボールを再開。将来的にはオフのウィンター・リーグで実戦復帰したのち、2018年からのNPB復帰を目指していた[9][10]

しかし、NPBでナニータを獲得する球団はなく、2018年はメキシコのオアハカ・ウォーリアーズで4試合プレーしたのみに留まった。同年8月、母国ドミニカ共和国でプレー中にフェンスに激突、右腕数カ所を骨折する重傷を負った[11]

現役引退後

2018年限りで現役を引退し、サントドミンゴ近郊で私設アカデミーを経営している。

2020年よりミネソタ・ツインズ傘下ルーキー級のドミニカン・サマーリーグ・ツインズ英語版の打撃コーチに就任した[12][13]


  1. ^ Blue Jays sign three more free agents
  2. ^ Ricardo Nanita y su familia disfrutan su juego
  3. ^ 2013 Tournament Roster[リンク切れ] The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年3月7日閲覧 [リンク切れ]
  4. ^ 新外国人選手獲得のお知らせ”. 中日ドラゴンズ (2014年12月15日). 2014年12月15日閲覧。
  5. ^ a b 【中日】ナニータ、驚異の肉体改造で快打連発!スポーツ報知 2016年1月30日配信
  6. ^ 【中日】2年目ナニータ、ド派手ガッツポーズ!首脳陣の期待に応えたスポーツ報知 2016年3月30日配信
  7. ^ a b 首位・中日を支える“もう一人の”助っ人 実はすごいぞリカルド・ナニータ | BASEBALL KING”. BASEBALL KING. 2021年12月26日閲覧。
  8. ^ 自由契約選手|2016年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2016年12月2日). 2016年12月3日閲覧。
  9. ^ 前中日のナニータ、トミー・ジョン手術受けていた…来季NPB復帰目指す
  10. ^ 左肘手術の元中日・ナニータ、ドミニカでキャッチボール再開「名古屋に戻れたら最高さ」
  11. ^ 元中日のナニータが母国ドミニカ共和国で重傷 試合中にフェンスに激突し右腕の数カ所骨折”. ベースボールチャンネル(BaseBall Channel). 2019年11月5日閲覧。
  12. ^ Ricardo Nanita será coach de bateo DSL Twins” (Spanish). LIGAS MENORES (2020年2月26日). 2021年5月7日閲覧。
  13. ^ Twins announce 2021 Minor League staff assignments” (English). MiLB.com (2021年1月20日). 2021年5月7日閲覧。
  14. ^ a b c d ナニータ“ムネリンおにぎり”パワー!竜新助っ人3選手来日 - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2022年3月27日閲覧。
  15. ^ 中日のドミニカンパワーがセを席巻 「3D」はなぜ活躍できるのか Full-Count (2015年4月16日) 2015年6月21日閲覧
  16. ^ 中日ナニータ・コールが響く先制打&2号ソロnikkansports.com 2016年5月29日配信
  17. ^ 【中日】ナニータ「オイオイオイ…」3日間で2度目のお立ち台スポーツ報知 2016年5月29日配信





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